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「伝」・・・「魂の覚醒」が始まる
2010/11/23(Tue)
この夏の旅は、私にとって「魂の覚醒」の旅となった。
私なりに、私が歩んで来た人生の様々な場面に於いて、「我が人生には、何か・・・ある」と感じながら、
感じたままに旅を続け、幾度も訪れる「まさか・・・」をしつこいほど確認してきた。
そして、その「答え」が見えた。正確には「答えを思い出した」・・・である。
大きな意味で「私が生まれてきた理由(わけ)」の「答え」は人生という旅の中にあった。


私、永山拓美が成すべきことは、坂本龍馬が本当に成し遂げたかったことの、先にある世界である。

「本番」である。

「皆が、あたりまえに、楽しゅう、ニカッと笑うて暮らせる世の中にしたい」とは、私がまだ「龍馬」の名さえ知らない泣き虫だった子供の頃より、いつも心の奥で求めていた世の中そのものである。


「刀・武士の時代」は、江戸末期の大政奉還を経たのち、明治10年、西南戦争にて西郷軍の敗北により、
その時代の終わりを迎えた。

しかし、今日に至るまで、「金・商人の時代」に姿を変えただけで、社会の構造の隅々にまで侵入し、
紙切れ目当てに心を奪い奪われ、近頃ではプリントされた数字の羅列を目にしただけで、
毎年日本国内で3万人が「自殺」し続けるご時世である。

数字に殺されたって?「ふつうに、おかしいでしょ!」


いずれ、「金融システムの時代」にも終焉の時が来る。既に、その「足音」は始まっている。
この世の中に於いて、少なくとも金に絡まない社会システムは、現状では存在しない。

「利の世界」である限り、「利害関係」の言葉が示すように、
「利は害を産み、やがて膿む世を作り出す」・・・道理である。

「膿み」が嫌なら出すしかないが、ホットイテモ「膿み」はいずれ出ることになる。これも、「道理」である。


ならば、何のために汗水流し働いた「金」とする。
「死に金」になる前に「生き金」として使えるうちに「利」ではなく「理」のために使うべきである。

「その時」が来ている。

己の為だけに使うつもりであったにせよ、それが同時に「みんなのため」になる結果をもたらす使い方があるから、私は活動を続けながら、この記事を書いている。

志ある者なら、「ここ一番!」出来る事に気づくはずである。



さて、この夏の旅の話である。

夏の旅も一ヶ月半を過ぎたこの夜、私は東京にいた。

夕暮れの新橋駅西口広場にて、待ち合わせ場所に現れたのは、「岩崎」という名の老紳士であった。彼のお目当ての店がお休みとの事で、予定を変更し神田駅近くのガード下にある居酒屋に行く事になり、そこで二人は初対面ではあったが互いの人生に起きた数奇な話を織り交ぜながら、酒を飲み交わしたのである。そこで私は新たな自分に気づくことになる。

この老紳士は、この夏、私が初めて訪れた北海道にて、幾つかの出逢いを経たのち、縁あって利尻島に行くことになり、その島で出逢った「ある御仁」が、私と話をしたあとで紹介してくれたうちの一人である。


その店は、老紳士の馴染みの店であった。老紳士の後に続き店に入ると、なんとも華やいだ笑顔をもつ女将の出迎えを受けた。まだ先客はないものの老紳士に勧められたテーブルには、きちんと「予約席」のカードが添えられていた。
店の女将は、酒の摘みを一通りこしらえたあと、熱く語り始めた老紳士の左隣の席に着き、暫くの間、笑みを湛えながら我々の話を聞いていた。

女将は、調場を仕切る彼女の息子が、私と同じ年の生まれであったことから察して、既に70歳の齢を越えてはいたが、未だにタダナラヌ品格をしっかりと湛えており、それは目を合わせるほどに彼女の内面から懇々と湧き出たる「七色の数珠の如き人生」であり、その人生そのものが肉体として私の目の前に映し出されていた。

私と老紳士の話しを聞きながら見せる女将の笑顔には、若かりし頃より「時代を背負い駆け抜けた数々の男たち」と、互角に渉りあってきたことをほうふつとさせるだけの「人生の重み」が、そこにあった。
その目の奥にあったモノは、まさに「女の将の目」であり、その目は優しさを保ちながら私の目をしっかり見据えていた。

老紳士の話によれば、かつて彼女は、銀座でクラブを仕切っていたとの事であった。
目を見れば、「確かに」・・・と、頷ける話である。

この時、である。私は、私がそれを感じ取る「目」を持っていることに、正直おどろいていた。
そして、素直に受け入れた。いつの間に・・・の思いがそこあった。
それは、これまでの人生で培った「目」と云うより、始めから持っていた「目」の機能が、この旅をしているうちに「覚醒した」と表現するほうが自然である。

「目は、口ほどにモノを云う」というが、「目ほど、モノ云う。口はない」
目を合わせ、感じるモノなれば、言葉や文字はその補助の役目である。・・・そういうことである。

老紳士との話も終わりに近づいた頃、彼は何やら複雑そうな表情をのぞかせ、これまでより少し抑えた声で語り出した。
「永山さん、あなたと話をしていたら、まるでブッダかキリストがワシの目の前にいるのか・・・と感じる」
「ああ、すまん。年寄りがおかしなことを言ったと思ってくれ」
「でも、そんな生き方しとったら、命が幾つあっても足らんとワシは思うがな」

私は、老紳士の言葉にどう返していいものかわからず、「???」となった。
私はこれまで、「そんなこと」を人から言われたことなどなかったのである。
彼は、幾分抑えた声で、「私は、津軽に移り住んだ岩崎弥太郎の子孫じゃよ」と、口にした。

すると、今度は女将の口から「永山さん。あなたは、織田信長のようですね」と、言葉がこぼれた。
次の瞬間、私は、もう感じ取っていた。
「女将さん・・・には、私を見て、私ではない何かを見ることが出来るのですね?」と、私は目をそのままに問いかけた。
女将は、目に笑みを浮かべ、軽く頷いたのち、
「あなたは、とても強い霊感の持ち主のようね」と、言葉を返した。

その言葉は、私にとって予想もしないものであった。正直、私は、霊など見えないモノを見る能力など持ち合わせていない。
私にとって、女将が口にした霊感が強いとかの話など「何のこと?」であった。

ただ、あえて言うなれば、私には子供の頃から、なんらかの存在を感じる時が確かにあった。
それさえ、私はいつも「きっと、気のせいだろう」で、繰り返し片付けていたのだが、いつまでも無視も出来ない旅の展開を重ねたため、検証するしかなくなったのである。

人生に於ける体験に、「無駄なものはない」が持論である。

今回の旅を通して、時よりこの女将のような人との出逢いが起きたことから、霊的なモノが見える人が私を見て何かしら反応した瞬間、それを私が感知するようになったまでのことである。女将の言葉から察するに、どうやら戦国の覇者の織田信長も、
此度は自ら「改心一路」と腹を括(99)った潔さ、である。


「話しの途中」だが・・・・・・
既に読者の中にも、今宵の老紳士とて「例外ではない」と、お気づきでは・・・。
政商・岩崎弥太郎には、「生涯、忘れられない男」の名・・・が、ある。

我が「永山」の姓の起源は、足利将軍家が滅んだのち「坂本」と「永山」の二つの姓を名乗るようになったのである。因縁は、無縁ではない。
(ただし、私の実家の血統の系譜は、定かではない。あしからず)

「まさか・・・」である。我が人生の出逢いに於いて、「坂本竜馬」は数々登場していたのである。
薩摩と長州、そして土佐と十三(とさ)湊も、我が人生に於いて無縁ではない。
ふと、人生を振り返ったら、ゾッとするほど見えてきただけである。
「竜馬」に怨みの念はない。あるとすれば、少しばかりの「無念」である。


さて、話を戻すとしよう。
時間の経つのは早いもので、終電のひとつ前の時間を迎えた私と老紳士は、店を出ることにした。
店を背にし、「きっと何かのご縁ですね」と、女将がにこやかに言葉を添えた。

老紳士は、頷きながら「これも、必然・・・というやつですな」と、老紳士ならではの、言葉で答えた。
その言葉にピクッと反応した私は、女将と老紳士の目をちょっぴりオドケル視線で覗き込み、
「あたりまえ・・・ってことですね」と、言葉を続けた。

老紳士は、上機嫌の笑い声にそのまま言葉をのせて、
「あたりまえ・・・。うむ。面白い、気にいった。これからは私も使わせてもらうとしよう」と、なった。

「また、いつでもいらっしゃい」と、暖かな言葉で見送る女将の声は、名残惜しさを感じさせ、
今宵の出逢いをいちだんと華やぐものに仕上げてくれた。さすが・・・で、ある。

女将からの見送りの言葉を背に、余韻を噛み締めながら駅に向かい歩き出した。

ふと見渡せば、店灯かりの落ち始めたガード下には、ようやく秋の訪れを感じさせる心地よい夜風が、
ただ時の過ぎ行くままに静かに流れていた。

・・・・・・・・・・・・・「つづく」

「追記」
「つづき」は、既に仕上がりに近い。
今回、書き述べた出来事から、今の私なりに、何が起きているのか。その意味を深く検証し、導き出した「答え」に基づき、
これからどうすればいいのかをお送りしたいと思います。

私は、この活動を続けたい。その想いで続けてきたし、続けさせて欲しいのです。
私は、TLC匠(代表・永山拓美)の活動資金をご支援して下さる方を求めています。まずは、ご一報を。

連絡先は、TLC匠のホームページ(当ブログのリンク欄)にあります。



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「伝」・・・秋の夜風に「まさか」が流れる
2010/11/16(Tue)
今年の夏、私は久しぶりに一人、北の旅に出た。
幾つもの新しい出会いを通して、改めてわかったことがある。

誰もが公言しないだけで、実は密かに世の中に漂う大きな「異変」を感じ取っているし、あれこれ社会の裏知識も持っている人も、霊的能力で遊んでいる人も「わんさ」といるのである。本当は、もっといるってことである。

おかげで私は、私と話をすると相手が「元気になる」ことがわかった。
私は特別なことは何もしていない。相手がそうなって、口にしたことである。
本来は、皆、自分で出来たことなのに出来なくなったのは、ご自分に何かそれなりの原因があるってことである。



さて、本題に参る。

かつて、私は、30代前半の頃、ハンググライダーのフライトにて上昇気流を乗り継ぎ、海抜3400メートルを超える上空に浮かぶ雲の上まで行ったことがあった。私の視界には眩しく光りを放つ真っ白な雲の原っぱが眼下に広がり、その白き原っぱの上を飛び進み続けた。空域には私一人である。成長する雲は、まさに生きていた。

眼下の白き雲には、くっきりとした私の翼の影を絶えず中心に納めるパーフェクトサークルの虹色の光「ブロッケン」が映し出されていた。私の左右には、それぞれ少なくとも100メートル以上の距離をおいて白き壁があった。
私は飛びながら、ゆっくりと左翼をその白き壁の頂が翼端越しに見えるまで傾けた。
そこには有に高さ5、600メートルを超える巨大な雲が白くそびえ立っていたが、ただ私は、その白き山が放つとてつもない存在感を感じるだけで、その高みに挑む闘志など私にはなかった。ふたたびゆっくりと翼を水平に戻しながら視線を遥か前方に移したとき、その先には真っ青な空をバックに霊峰富士がちょこんと白き顔をだけを見せていた。

私はあれほどの「蒼き空」を、その後見たことがない。宮崎駿のアニメで見た色使いがそのまま、そこにあった。

「オレは、ここに来るために生まれてきた」と、その時わかった。
感動のあまり「よくぞこの世に産んでくれた」と、両親に感謝した。

突然、である。
私は背後にとてつもなく大きな気配を、はっきりと感じた。
それは、私にとって恐怖を感じさせる何者かの視線としか云いようがなかった。

あまりの不気味さに、私は視界から白い雲の原っぱが切れるまで、一気にフライトスピードを上げた。
雲の浮島の端までたどり着くと、世界が変わったかのようにその「視線と気配」は消えていた。

ほっとした私の眼下には、標高2000メートル近い朝霧山脈さえペッタンコになった色鮮やかな地図が広がり、遥か駿河湾先に見える水平線はゆるやかな弧を描いていた。
翼に感じる大きな風の流れと大気の力は、言葉や姿がなくとも「風が生きている」事実を私に知らしめ、その源である地球そのものが、黙しても意識を持った「生命体」であると、私は実感したのである。

この日のフライトを終えた後、私は富士山の西に広がる大空を仰ぎ見た。
もうそこには、あの大きな白き雲の浮島はなかった。

「さっきのアレ・・・なんなんだ?アレ」
「でもきっと、気のせいだろな?」と、私は納めた。

ところが、翌週のフライトにて、私は海抜3200メートルを超えた空域まで上昇したとき、私にとってその「怖ろしき体験」は、またしても起きたのである。しかし、私は、その体験の事実を口外しなかった。

フライト仲間と酒を飲み交わし、その中で山ほどの体験話を耳にしても、私が体験した事例の話しが先輩フライヤーの口を通して聞くことは一切なく、私の体験した事実を語ろうものなら「キチガイ扱いされるのがオチ」と、していたからである。

私が、ようやくフライヤー仲間との酒の席で口にしたのは、日本人・宇宙飛行士の毛利衛(もうり・まもる)氏が宇宙から帰還後、テレビメディアにて「宇宙から地球を見た時、私は、神を感じた」と語っているのを見た直後である。

「語ってもいい時が来た」と、私は思った。

私が、毛利衛氏の言葉を布石として用い、私の体験を語ったことは云うまでもない。第三者が社会的評価と認知度が高ければ高いほど、ある程度の効果をもたらす。「でも、毛利さんと、永山君じゃねぇ・・・」も覚悟のうえである。
たとえば毛利衛氏から一言、「永山君の言ってること、ほんとだよ」があれば・・・話は別だけどねって。それを「あたりまえ」にやってた時代である。
おかしなことが、「あたりまえ」の世であるって・・・「おかしな世界」である。めんどうな世の中である。

さて、当時のフライヤー仲間の反応は・・・と云えば、笑う者は少なく、気味悪がる者、黙るだけの者など様々であった。(この体験が、酸欠による症状でないことだけは、仲間たちでもわかっていた)
ただ、クラブを束ねる親分・西本久平氏だけは、私の話をちゃんと受け止めてくれたようで、酒の席がお開きになり彼は私と二人残ったフロアで笑みを浮かべポツリ言った。

「オレの場合は、フライト中に死んだ婆さんの気配を感じる事があるんだ。しょっ中だけど怖いと感じたことは一度もない。婆さんのこと好きだったしね」
「ただね、永山。みんなの中にはお前の話を聞いて、怖くなって飛ぶのを考えてしまう者もいるから、さっきの話はもうみんなの前では止めときな」

親分にとって、クラブの仲間とは商売上はお客さんである。仲間が一人でも多いほど売り上げになる。商売を抜きにしても、フライトの楽しさを共有出来る仲間が減ることに繋げかねない要因は、望まない。
私にとっても仲間の誰かが、私の話により「自分にも、怖い事が起きたら・・・」の思いを抱き、フライト仲間の足がフライトエリアから遠ざかるのは、望むものではなかった。

私は、「うん、そうするよ」と答え、フロアの明かりを落とし眠りに就いたのである。


まあ、個人差はあるだろうが、10年もフライトを続けている者であれば、感覚が研ぎ澄まされているフライトをしているとき、自分の意識がいつの間にか肉体があることさえ忘れ、「目」だけになっていると感じるときがある。
当たり前すぎて、そのことにさえ気づかない者もいる。
思い出したとき、「そういえば・・・そうだね」の言葉が、笑顔と共に返ってくる。


私が当時、実際にどんなモノを感じたのか。

私が感じた「意識・存在」とは、少なくとも幅10メートルはあろうと思われる「巨大な一つ目」であった。雲の上を飛んでいる間だけは、その存在が背後に続いた。その気配の余りの怖さに振り返って直視できる状態ではなかった。

当時の私は、私なりにその「意識・存在」を仲間たちの前で、最大限表現した。
「雲の神か・・・風の神か」
「一番しっくりくるのが、地球という生き物の意識だと思うしかない」であった。
そして、その正体は何モノなのかという謎だけが残った。


時は流れ、2007年の10月、千葉幕張の夜、「謎の正体」は、判明した。
私にとって、その「答え」とは私自身にとって、思いもしないモノだった。

その夜、私はある人物との出会いを通し、ふと、「この人なら、謎の正体が何なのか判るかも」と思い問うてみたのである。
その人物は、私からの問い掛けを受けたにも関わらず
「あんた、判ってんでしょ」・・・・・と返してきた。

次の瞬間、私は、「えっ?」(質問したのはオレなのに)との思いと重なるままに、
「まさか、あれはオレ?」・・・・・と口走っていた。

その言葉が自分の口から吐き出されている瞬間、同時に私は(オレは、何を云ってるんだ)と思っていたが、すでに制御できるものではなかった。

「ほら、やっぱりあんたは判っていたでしょ。知っていたってこと」

私が心の中で、「そんなバカな???」と思ったところで、意味がないことも私にはわかっていた。
信じ難い体験と「答え」であったが、私が、私の口を使って、夜風の中に吐き出したのは、「紛れもない事実」であった。

私に残されているのは、その事実を受け入れることだけだった。

「答えはすべて自分の中にある」という私の実体験である。

「まさか」の言葉。それは、わかっていたから・・・・・で、ある。

「真逆・まさか」とは、否定が肯定させられること・・・で、ある。


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「告」・・・法律の中の「トリック」
2010/08/17(Tue)
私は子供の頃から泣き虫で、高校時代でも腕に覚えのある者たちに絡まれた時、ビビリンチョで
時には半ベソ状態だった記憶がある。
要するに「いじめられっ子」だったのである。

ただ、よく考えてみると、私が本当に怖かったのは相手ではなく私だった。
私は、自分が「ブチキレル」ことを心の奥底で、最も怖れていたのである。

私は、幼き頃から自分で自分の力を過小評価していた。そうすることで、被害者の立場になることはあっても、加害者の立場に立たなくていいように生きてきたとも云える。そう考えると、私をいじめた者たちは実は私のした事の「被害者」と云える。
当時の私は、そんなことを考えられなかったのである。

たしかに、私には相手をいじめるという想いはなかったし、いじめっ子ではなかった。
今の私は、当時のそんな自分を許している。当然ながら、私をいじめていた者たちに対しても、許している。
高校時代の私が、一部の者たちの言動や面構え・服装といった一面だけを捉えて、
勝手に「やばい連中」というレッテル(思い込み・先入観)を貼り付けた愚かな体験が、今、この記述に活かされることになった。

読者のあなた、あなたに「先入観」はありませんか?そして、トラブルは・・・ないですか?



さて、本題に参る。

私はこれまで、たとえ事実であったにせよ検察官・裁判官について非難する思いを抱いていた。よく考えてみると、この私が抱いた思いは、私としても「おかしい」と感じる。私自身、彼らについて「先入観」を持った視点で、この裁判を考えていた。彼らの置かれている立場・状況からみれば私は「いじめっ子」でしかない。この事については、お詫びせねばならない。

事実、検察による起訴に至るまでの経緯については、「誤解・思い込み・先入観」の連鎖によるものである。
しかし、起訴に関わる「法律」そのものが事態を後戻りさせない状況へと深めていく「原因」である。下記は、その証拠である。

この法律が有る限り、検察官と裁判官は「法律を守る立場」の者として、当然ながら法に沿って職務に臨まなければならないのである。
無罪を訴える被告人にとっては、怖ろしい法律である。

刑事裁判のスタートは、検察官が裁判所に「起訴状」を提出することから始まる。
下記の記述は、ネット上に公開されている資料の転載である。
(いささかお堅い文面なので、2ブロック目の「起訴状一本主義」のほうが、御理解しやすいかと思います。)


「公訴の提起」について

公訴の提起は、裁判所に起訴状を提出してする(刑事訴訟法256条1項)。起訴状には被告人の氏名、公訴事実、罪名を記載しなければならない(同条2項)。公訴事実は訴因を記載し、できる限り日時、場所及び方法をもって特定しなければならないとされるが(同条3項)、このように訴因主義を取ることで、審判の対象や被告人の防御範囲を限定できるメリットがある。また、裁判官に予断を与えるのを防止するため、起訴状にそうした予断を来すおそれがある余事記載や、証拠その他の書類などを添付することは許されない(起訴状一本主義と呼ばれる。同条6項。なお、これに違反した起訴は同法338条4号により公訴棄却となる[1])


起訴状一本主義 [編集]

公訴提起に際しては起訴状のみを提出し、証拠を提出してはならないとする原則(刑事訴訟法256条6項)。事件を担当する裁判官に対してあらかじめ被告人を真犯人と決め付ける予断を与えてはならないという、予断排除の原則と有機的に結びついている。万が一にも起訴状以外の証拠が裁判官の目に触れた場合、その刑事訴訟は終了することになる。ひとたび予断を抱いた裁判官の記憶を消し尽くすわけにもいかないからである。

以上、転載終わり。


私は上記の記述を目にした時、裁判の入り口とも云える起訴(公訴)の段階において、
この法律に被告人が不利となる「トリック」が仕込まれていると思った。


あくまでも、法律に関して素人同然の私なりの解釈だが、「トリック」とは思い込み・先入観のことである。
条文では、あたかも裁判官が被告人に対して真犯人だと「予断=思い込み・先入観」を持たないようにするための法律になっているかにみえる。しかし、よく読みこめば「おかしい」ことに気がつくのである。


一審の場合、裁判官は「法廷に入るまで」事件内容を見せてもらえず、被告人および事件関係者と接触することを禁止されており、要は「目隠し状態」で法廷に臨むのである。確かに、この時点では裁判官は被告人が真犯人かどうかを判断出来るはずもない。ところが、裁判官は法廷に入った瞬間、被告人席にいる被告人に対し、どんなに偏見を持たないように努めたとしても、第一印象として「犯人の可能性がある者」という見方が始まる可能性を残している。

次に、公判の始まりに裁判官は、検察側から被告人が真犯人である事を満たそうとする「起訴事実および証拠」を初めて目にする事になる。この時点に於いて、「起訴一本主義」の効力は無効となる。つまり、意味の無いものとなる。

私はこれを「イカサマじゃねぇか」と捉えた。

つまり、検察側は被告人を起訴した以上、裁判官に「真犯人だ」と思ってもらわねばならない。その為に検察側は最大限、被告人が「真犯人」であるための視点に立った事実集めと証拠作成に努める。
今回は、裁判官に強烈な印象を植え付ける巧妙な継ぎ接ぎの証拠が提出された。この時、「ひとたび、予断を抱いた裁判官の記憶を消し尽くすわけにもいかない」事態のスイッチが「ON」になるのである。見せられた証拠が、裁判官にとって強烈な印象であればあるほど「先入観」を深める効果をもたらすのである。

今回、検察側が提出した「継ぎ接ぎの証拠」とは、被告人である母親が亡くなった乳児の状態について書き残したメモと、携帯電話の映像録画による記録である。
「うりちゃん、ミイラ化。まー、涙止まらず」と書かれたメモの、同じ日付の映像記録に写っていたのは「ふくよかな状態の乳児の姿」であった。その数日後の映像記録は、「引き締まった体の乳児の姿」なのに、検察側は「痩せ細ってミイラのような姿」と捉え、つじつまが合わないけど、メモと数日後の映像記録をセットで証拠としたのである。
(因みに、うりちゃんとは乳児のこと。まー、とは母親のこと)

母親は、警察署・検察庁での取り調べの際、書き残したメモの説明として、ふくよかな乳児の我が子を見ている時に、飢餓に苦しむ赤ちゃんの姿が脳裏に浮び、シングルマザーたちが嘆き苦しむ姿が脳裏に浮かんできたために、涙が止まらなくなったことを、自分なりのメモの「キーワード」として、書き残したことを言い続けたが、調書からは削除されたのである。
(このブロックの私の記述は、母親が実際に語った説明と、一言一句同じではない。念のため。)


事実、世の中には「ありえない」とすることが「ありうる」し、幻覚とは異なる説明しがたい体験をしている人が存在する事実は、テレビ等でも一般化した話として知られている時代である。私自身、目を閉じてアイマスクをすると、何かを象徴するような映像を見る体験をしている。芸術系の仕事をする人々と出会い話をしたとき、同じ体験者がいることを、私は何度も確認している。


兎にも角にも・・・である。
この時点で裁判官は、「トリック」によって検察側が提示した・・・事実と、証拠によって、「予断=先入観」をしっかり植えつけられた可能性が高いのである。


話を戻す。

被告人は、法廷にて検察官・裁判官・弁護人から質問されたことしか答えられない。つまり、それ以外の主張を自由に述べることが認められていないのである。ただでさえ圧倒的に不利な条件の場所が、法廷なのである。

裁判官は、「超・頭のいい人たち」である。

「人が人を裁くことは、本来間違っている」ことを、十分に知り尽くしているはずである。

彼らは、「人として」の立場に立ち戻った時、その苦しみを溜めに溜めきっているとしか思えない。
検察官と裁判官は、現行の法律を守る立場である以上、この法律を検察官と裁判官が自ら変えることは出来ない。

現行の、この法律が有る限り「真実を訴える被告人」にとって、起訴をされた時点で怖ろしい事態が始まるのである。


変えるは、国会議員による議会での「法改正しかない」のである。


読者のなかで、この記述の「法改正」に取り組まれている国会議員を知る方がおられたなら、ご紹介頂きたい。
通常の法改正と異なり、国家権力に関わるため、首相・法務大臣レベルまで結ばなければ、クリアするのは困難ではある。

私は、「可能にしたい」のである。

「話せば・・・判る」とは、かつて、犬養毅首相が残した言葉である。

「明日は我が身、他人事ではない」のである。


この「法改正」は、今後の冤罪事件を食い止める事になるし、間に合えば私が関わるこの裁判の差し止め、
あるいは一審からのやり直しへと繋がる可能性を持っている。

裁判官は、検察から証拠を受け取る第一回公判以前に、被告人と直に対面し、被告人の人格や生き方を知り、本人の主張を聞いた上で法廷に臨む形でなければ、「予断を来すおそれ」=先入観は決して無くならないのである。


もう一度、お伝えたい。 本来、「人は人を裁けない」のである。


「追記」

「トリック」は、山田さんに・・・・バラサレル。「このぉ、イカサマ野郎。全部、お見通しだぁ」

私の名は、「なが・・・やまた(山田)・・・くみ」である。・・・・・バラサレタ。


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「告」・・・武士(もののふ)の伝文
2010/08/12(Thu)
私は、幼き頃からの我が人生を振り返った時、薄っすらではあるがいつも「何か・・・」に導かれる感じを覚えていた。

私は、30歳を過ぎた頃から始めた東北地方の旅を10年以上続ける途中、岩手県遠野市にある石上山の尾根に立ち、遠くの山並みを眺めた時、突然時空を越えた懐かしさを覚えたのである。

「遥か遠い昔、オレはここに立ちこの風景を見ていた・・・」

「なんだ?・・・このタイムスリップでもしているかのような感覚は・・・」
それは、私の目を通して、別の誰かの意識が重なっているような感覚だった。
 
私は、岩手の歴史を調べ「前九年の役」のあと、安倍貞任の弟・宗任が九州の大宰府に行き、宗任の3人の男子のうち次男・仲任が「薩摩国」へ行ったことを知った。その後の消息は不明だが、私にとって、郷里・鹿児島と岩手を結ぶ「答え」として、それだけで充分であったし、その話を聞くことになった方たちから、誰一人として否定を含む言葉を受けた事がない。なぜならば、それは血縁を超えた「魂のレベル」で導いた「答え」であったからだ。


3、4年前に私が東京にてイベント美術の仕事をしていた頃の話である。

ある日の深夜、私はその日の現場を共に納めた若者・坂野氏と、浅草橋の事務所に戻り、一通りの片付けを終えて「おつかれさん」となった。事務所の鍵を閉め、私がすっかり灯かりの落ちた通りに出た時である。
「永山さん・・・」
振り向くと、少し離れた薄明かりの中におどけた仕草で後ずさりする若者の姿があった。
「永山さん。僕は永山さんのこと、サムライだと思います」
若者の思いがけない言葉を受けた私は、苦笑いのまま答えた。
「と、言う事は・・・坂野さん。あんたも、サムライだと言うことになるな」
すると、若者は嬉しそうに笑顔で答えた。
「えへへっ・・・もちろん。じゃあね、おつかれさまぁ」
「はい、おつかれさん・・・」
駅に向かう若者の影は、総武線のガード下の暗闇へと融けていったのである。

「アメリカ帰り」の匂いが残るこの若者の言葉の意味を、この時まだ、私は知らなかった。


今、私は、我が人生が「魂のルーツ」を辿る人生である事を確信している。
なぜならば、我が人生には私の知らない「シナリオ」が感じられるからである。



私はこの夏、北海道の知人宅に滞在しながらこのブログ記事を書いている。

これまでの私の人生という旅に於いて、「何か・・・ある」と感じざるをえない「出逢い」という出来事の体験は、「あたりまえ」であった。
その事は今も続いており、北海道に滞在中、北海道にまつわる歴史を感じ取る事と、この北の大地に生きる女性との出逢いによって、私がかつて魂のレベルで「物部・もののべ」であることが判った。

昨今、戦国武将ブームであるが、武士と書いて「もののふ」と読む基になったのが、「物部・もののべ」である。史実によれば奈良の大和に都が在りし頃、軍事・祭祀に亘り「物部氏」が全盛を迎えた時代があったという。つまりは、武士(もののふ)の起源となる。

戦場(いくさば)の武士ならば、刀と弓矢を持たねば仕事にならぬ。
現代社会に於いて、「もののふ」の魂に気づき志あらん者なれば、奇しくも剣の形状にも似た「ペン」を遣いての仕事である。今こそ「モノ述べ」たらんと名乗りを挙げ、「ペン」を振るわずば仕事(つとめ)にはなるまい。



さて、本題に参る。

私はこれまで、国内各地の支援者の協力を得て、ここまでこの裁判に妻や仲間と共に「世直し」の志のままにやってきた。


この裁判、巷で頻繁に起きている似たような事件と同レベルの裁判ではないことを、読者ならばお気づき頂きたい。

現在、この裁判の舞台は、最高裁での「上告審」へと移行し、しかも大法廷にて「15人の裁判官」が審議するほどの事案となっている。
この事がどれほどの事なのか、その「意味」は大きいのである。。

もしこの事件の裁判が、現在多発している乳児の死亡にまつわる事件と同等ならば、既に「上告」は却下であろうし、最高裁で審議すること事態が「異例」である。しかも、通常ならば小法廷にて「5人の裁判官」が審議する裁判のはずである。

最高裁判所の大法廷にて「15人の裁判官」が審議する「意味」とは、日本の司法機関のトップが総力を上げて審議する判断を表明したのであり、それほどの裁判であるという意味である。

つまり、この上告審とは、国家の最高司法機関が「国家の根幹」に関わる裁判である事を正式に認めたことを意味している。

いわゆる、「憲法判断」に及ぶ前代未聞の裁判である。国家権力の超エリート集団の15人が、総掛かりでないと判断できない「大事件」だと、法治国家が総力を挙げて取り組む決断を下している裁判である。


今宵、北の夜空を流れる風を感じながら、私は「男」の言葉を思い出す。

「永山さん。・・・わしゃぁな。この事件だが、世の中がひっくり返る位のどえらい裁判になると思うちょるんだがな。そんな・・・気がする」

この言葉は、この裁判の一審での担当弁護士の一人である金井塚弁護士が、国選弁護人として決まって間もない頃、私に語った言葉である。
これは、齢80を越えた高齢となっても弁護士としての「気概」を全く失わない男が、長年の経験を基に直感的に導き出した「答え」であると、私は確信している。


最早、既に私の思いをご理解いただいて下さった読者なれば、下記の記述も今後の記事に「目」を通さずとも十分である。しかし、裁判の最終結審までは己を信じて、私を信じてくれる人がいなくなっても、「おかしなことは、おかしい」と言おうと教えてくれた人々の為にも、役割を知った自分の為にも、まだ気づかない人々の為にも、私の「本当の仕事」の本当の仕事始めとして、続ける。

この事件、この裁判では、私でも判るように国家権力のエリートたちが「糞マジメ」に自らがおかしなことをしている実態を懇切丁寧に見せている。

もし読者が、私が見た「法廷」を体験していたなら、私と同じ「気づき」を感じたなら、「ある行動を執る」きっかけになったと、私は信じる。


私が知った「おかしなこと」は、あまりにも多い。
多すぎる為、現時点にて読者に私が知り得るすべてを知っていただく事は、かなり労力を強いることになると、私は思っているので、今の私なりに「これだけは!・・・」と思う事を書くことにした。

1 検察は、乳児の死因は「栄養失調」だと強調し続けているが、検察が自ら依頼した司法解剖の鑑定結果の「死因は不詳」である。つまり、検察は自ら法廷に提示した「証拠」を自ら否定した。死亡原因を思い込みによる「憶測」で作り上げた。乳児が二週間もミルクを飲まないで普通以上に動き生き続けた証拠を前にして、死亡原因が「栄養失調」では成り立たない。なぜなら、医学の常識として、乳児が三日もミルクを摂らなかったら、動けないどころか生きてはいない。私だって立っていられるかどうか怪しい話である。検察が、自ら証拠として認め、法廷で提示した「14日間」の映像にある、動き続け・立ち・歩いている証拠が「栄養失調」には結びつかず成り立たないのである。


2 一審の裁判官の判決理由には、素人でも判る「矛盾」がある。
裁判長は判決文にて、「被告人両名に、我が子に対する愛情は認められる・・・が、残酷な犯行である」と、平然と述べている。
普通に考えて、我が子に対して残酷な犯行をする親に、愛情などない。
裁判長は、被告人の我が子に対する愛情を認めている。

読者は、被告人を「有罪」とする裁判長の判決をどう思われる?


3 裁判長の判決理由の一節には、「原因はともかく・・・」「死亡原因は、検察側の述べるとおり、栄養失調による衰弱死である」とある。
常識からして出来事には必ず、原因と結果がある。

つまり、裁判長は被告人が知り得る「原因=真実はともかく・・・」と言った時点で、一番肝心な死亡原因を無視した視点で審議したことを宣言している。ところがその後、裁判長は検察同様に死亡原因を「栄養失調」(専門医も認めない仮説・憶測)によるものだと判断したのである。普通に考えて、裁判長は「栄養失調かどうかはともかく・・・栄養失調です」と宣言したことになる。
裁判長は、どう考えても「おかしなこと」をいっている。

読者に問う。読者から診た私の言っていることは、おかしいですか?
それとも・・・・。である。


4 判決理由の別な一節に於いて、「本件は、特殊な事例であり被告人の言っている事が・・・・そうだとしても、一般的事例・社会通念上に照らしあわすと認めることが出来ない」という意味の事を述べている。

読者が、これを極々普通に読み上げたとき「おや?」と、気づくであろう。

これも、一審および控訴審の裁判長が判決理由にて使った、裁判官・裁判長特有の言葉遊びの如き「法廷でのすり替えテクニック」である。

検察官も引っ掛け問題の如き「言葉のトリック」を、実に巧妙に駆使している。つまり、法廷にて交わされている「言葉」が、いかに一般社会とかけ離れているかを知ることが出来る。

5 控訴審にて裁判長は、前代未聞の「まさか」の出来事・常識外の現象が現実に起きたことなのに、その事をある程度認めたように思わせているが、なんの事はない。「・・・だとしても」が連発された判決文を見れば、「言葉のトリック」が剥きだしである。「モットモラシク・・・」聞こえるのである。

つまり、裁判長は自分では判断しようもないので、一般の事件レベルの判定で誤魔化した判決である。「味噌も糞も一緒」の対応を自ら暴露している図である。
裁判長は、法廷の面前にて「私では判断出来ません。ごめんなさい」と、立場上公言できないし、・・・と、言うより「判断したくない」が本音である。その場合、あたかももっともらしく耳障りのいい「言い回し」と、巧妙な「すり替えテクニック」を駆使した表現で、誤魔化したのである。


6 では、なぜ裁判官がこのような「言葉のトリック=言い回し・すり替えテクニック」を、判決理由の表現として用いるのか?

答えは、被告人の述べている「特殊な出来事=真実の世界」を、裁判官は体験(見た・聞いた・語った・感じた)しておらず、これまでに前例のない事案の裁判であるため、大阪高裁の裁判長としては最高裁に判断を委ねる判断をしたのである。

私なりの解釈では、早い話が、「こんな訳のわからない事案を、私が担当する法廷に持ってこないでくれ。とっとと最高裁で頼むよ・・・トホホ」と悲鳴を上げているのである。
要は、責任回避の為、「たらい回し」の如き手段で、一応の責任を執ったつもりなのである。別な視点から言えば、最大限役目を果たしたとも言える。

この判断は、何も珍しくも特殊な行為でもない。読者でも、少なくとも一度や二度は人生の中で身に覚えがあるはず。私とてサラリーマン時代に、私が上司に、上司が社長に「判断」を委ねた行為と同じである。企業・役所・医療・教育に関わる仕事をしている人々が日常の業務の中で、手続きという名目で「責任回避」できるシステムにより、正当化する事(都合よく)が「あたりまえ」になっているのと、形としてやっていることは変わらないレベルなのである。

しかし、このシステムを裁判に導入した時、そら怖ろしいことが起こる。その結果、被告人には保釈中であっても一般人のような自由はないし、家族は離れ離れの生活を強いられ、今尚続いているのである。

国民が安心して暮らせるために頑張って職務に忠実にやっている事とはいえ、「普通に幸せに暮らしたいだけ」のある一家族に対して、真逆の仕打ちを続けているのである。


この事件は、誤解(思い込み)から生まれ、誤解は誤報(憶測)となった。
誤報は、誤認逮捕(真実の否定)への連鎖となって、裁判になっている。

裁判の実態と法律の限界が、最高裁での「判決の行方」と共に世に晒されているのである。


事件を報道したマスコミの記述内容に、誤りがあったことをマスコミが認めても、謝罪と訂正の報道はされない。また、一審判決以降、この裁判にマスコミは一切触れない。その理由を、もう読者はお気づきであろう。

「軽はずみな報道が出来ない」事件であることを、事件発生後にフジテレビが「とくダネ」という番組にて事件を取り上げたが、レギュラーコメンテーターたちが、歯切れの悪いコメントしか出来なかった。と、・・・言う事は、読者が今感じたことが、読者の真実である。

マスコミのトップがこの裁判を報道することすら最大限神経を使っている事がわかる。動けるはずもない。


読者に問う。この世に己がなぜ存在し、そして今、なぜに永山拓美という一人の男が書き記すこの「TAKUMIのいいつたえ」に触れることになったのかを、少しでもいい・・・考えて欲しい。読者が思ったままに行動すればいいのである。私が、そうであるように。私としては、我らが活動へのご支援を願うばかりである。

※ 長谷章宏・真由美夫妻支援基金振込先

三菱東京UFJ銀行 西院支店(504)(普)0061420
口座名 ハセアキヒロ マユミフサイヲシエンスルカイ カイケイ ハヤシ カズミ 
       (スペースに注意)


「追記」
私は、自らの想いを語るため、「述べの場所」へ身体を運ばざるを得ないのである。「野辺(述べ)の場所」での「野誰(のたれ)死に」だけは御免である。

「明日は、我が身」・・・とは、私が中学1年生の時、自らの体験から学んだ真実である。現時点の読者にとってどうであれ、この「答え」は、私の体験の中から出した「答え」なのである。

実は私には過去の体験にて一度だけ、私が世話になった知人が事件の犯人とされ、裁判によって有罪が確定したことがあります。その時私は、知人の無罪を信じておりましたし、知人が刑に服している今でも「無罪」を信じています。

私が当時、今日ように裁判に関わり法曹界・法廷での「おかしさ」を見抜く目に気づいていたなら、自分の事として裁判と真剣に向かい合っていたなら、私は大事な知人を助けられたかもしれません。それ以前に私は何一つ、知人の為に行動しなかった。すべては、「あとのまつり」でした。

私は、「無罪を信じる」と言うだけ、思うだけで、「見て見ぬ振り」だった。

今朝、目覚める前に見た夢に、知人が現れた。私と妻に対し、満面の笑みを湛え「お祝いの言葉」を述べる知人の姿。隣にはヒロミちゃんが親父譲りの笑みを浮かべていた。
「久平さん、すまない。・・・・ありがとう」

もうあんな想いを私はしたくないし、読者にも誰にもさせたくないのである。

これまで、「納得のいかない」判決を受け、苦渋の時を送られた方の失われた時を私にはどうすることも出来ない。私に出来る事は、これからの事しかない。

前回のブログタイトルの「告(つけ)」とは、私自身が過去にシデカシタ事の「ツケ」でもある。


今回も、私のブログ記事にお付き合い下さった読者へ、心からお礼を申し上げます。

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「告」・・・裁判の中の「まさか」の数字
2010/07/07(Wed)
京都の街に、お寺や神社が多い事は誰でも知っている。
今回は、「世界遺産」なんてぇ大層な肩書きの付いた所の話ではない。

古い町並みを残すこの街を歩けば、至るところに驚くほどに小さな祠に祀られた「お地蔵さま」を目にする。但し・・・である。この「お地蔵さま」たちを納めてある祠の格子扉は閉ざされ、オマケに南京錠までしてある。まるで、牢屋である。

「お地蔵さま」とは、地蔵菩薩の事だが、そもそもは「閻魔大王」である。

「建前」という文化を持つこの街に、「ウソ」を通さぬ「閻魔大王」がこれでもかと言わんばかりに配置されているのは、あとで舌を抜かれる事を暗に町衆は覚悟しているとみえる。

閻魔さまも、ナメラレタものである。
ナメテイラレルのも、舌を抜かれるまでのことである。
やったことは、語らずともお見通しである。己が一番判っていることである。

閻魔さまは、判決を一人で下す。
裁判官のように、多数決もなければ、判例がどうのもヘッタクレもない。

閻魔さまの前では、「反省しています」など、寝言にもならない。
無意味な戯言(ざれごと)である。

「地獄の沙汰もカネ次第」というが、カネとは「お金」の事ではない。
直角(かねおれ)の「直」の事である。「心が捻じ曲がっていないか」ってことを言っているのだ。閻魔さまの前では、素直が一番ってこと。


さて、本題に移る。

私は子供の頃から、自分の生年月日や名前にまつわる「数字」を気にするちょっと変なところがあった。
読者の方にも、そんな方が居られるのでは?

この裁判には、「おかしなこと」が、数多く起きている事実がある。

その中の一つが、裁判にまつわる「数字」である。
今回の記事を読んで読者はどう思われます・・・かな?


一審の判決日は、2009年10月6日だった。(京都地裁・米山正明裁判長)
判決は、検察の求刑10年に対し、実刑6年の有罪判決となった。
判決の日付と刑期は、同じ数字になっていた。

この数字は、二審(控訴審)にて再び登場することになった。


二審の判決日は、2010年6月2日だった。(大阪高裁・古川博裁判長)
二審(控訴審)の判決は、控訴棄却、一審判決を認め「実刑6年」であった。

この日付、よくご覧頂きたい。「2010/06/02」の数字の配列を見て、勘よくすぐに「ピン」と来る方には、説明不要である。配列の中央に一審判決の時に見た「10」と「06」即ち「6」の数字である。出来すぎである。

付け加えれば、両端の数字が「20」と「02」になっており、鏡写しの絵である。
また、「20」と「02」の数字には、一審の「2009」との関連が見て取れる。
(20マイナス2=18¬・・・2×9、「2」と「9」は「2009」の両端の数字である。
18・・・3×6でもあるが、3と6をたすと再び「9」が現れる)

因みに、一審の最終公判日(5回目の公判)であった2009年9月2日、米山正明裁判長は、法廷にて「判決日は、10月6日」と告げたのち、閉廷となった。
数列は、「2009/09/02」である。そこには、両端に再び「20」と「02」があり、
中央には「09」と「09」。つまり、「9」がふたつ。「2×9」である。


この数字は、「偶然」ではない。
「なにかある」と思わない方が、私としては「おかしい」のである。


しつこいようだが念のため、一審の第一回公判日から日付を洗って見る事にした。
第一回公判日 2009年7月14日
第二回公判日 2009年7月15日
第三回公判日 2009年7月29日(14+15=29。足し算で決めた日付になる)

第四回公判日 2009年8月4日
予備公判日  2009年8月5日(公判は無し)
(8月の4日、5日の両日だが、単純に7月の第一回と第二回の「日にち」から、それぞれ「10日」を引いたと考えても間違いではない。
7月に3度の公判があったので、7×3=21として、それぞれ「21日」を足したとしたら、やはりこの日付である)

第五回公判日 2009年09月02日
(第三回公判の29日を、第四回の8月4日にたすと、9月2日である)

二審(控訴審)の公判は、一回限り。公判日は2010年4月21日である。
一審の第四回公判の時に見た数字の「4」と「21」が再び登場したのである。
この日、法廷にて古川博裁判長は、「控訴審の判決日は、6月2日とします」と告げ、閉廷となった。

読者は、これを「こじつけ」「単なる偶然だ」と、言い切れるかい?


「生と死とはなにか」が問われている重大なこの裁判において、数字遊びをしているのは私ではない。
日付も、判決の量刑も決めているのは「裁判官(裁判長)たち」である。

いったい何のために、わざわざこんな数字を選んでいるのか。
もし、意図的にゲームをしているのなら、そら恐ろしい話である。

何よりも恐ろしいのは、この裁判が今、現実に行われ二度も実刑判決の「数字」に日付が使われていることである。


この裁判は尋常でない。「なにかある」


この裁判は、まだ終わってはいない。現在、被告人と弁護人は、最高裁での「上告審」に向けて準備中である。

私としては、こんな「裁判ではない裁判」をやり続けていること事態が、そして無罪の家族を苦しめて遊んでいる裁判が存在していること事態が「おかしい」のである。これは、有罪とか無罪とかを審議する以前の話である。




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