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根なし草の夏休み
2008/08/14(Thu)
京都の街から、すっかり学生たちの姿が消えてしまった。

夏休みに入り、学生たちは帰省したり旅に出たりと、思い思いの時間を過ごして何よりである。

     まあ、私としては46歳の昨年の夏まで、はっきりとした一ヶ月の夏休みを
     旅の時間に使い、数多くの体験と出会いが、なんとも嬉しい宝物になっている。

     姿を消した学生たちが、笑顔でこの街にまた戻って来るのが、私は楽しみである。

夕暮れの空を眺めながら、妻と共に街頭活動の「聞く屋」に出掛けた。
この日は、私と妻に加えてCさんが同伴した。
朝の内やかましい程のクマゼミの鳴き声も、この時間になると、すでにアブラゼミに変わっていた。

烏丸北大路のアーケードの、新しく出来たばかりのベンチに着くと、
手作りの看板と、お客さん用のイスを並べて店を開いた。

千葉から来たCさんは、六月末の東京でのセミナーで、出会った男性である。
彼は私たちの活動に、関心を覚えてこの三日間、自営の仕事を休み
私たちと寝食を共にしてきたのだ。

     自分の関心を覚えた事に対して、他者からの又聞きや、勝手な憶測だけに留まらない
     自分の目と耳と体感を、大事にする彼の姿勢は、私にとって一番の基本だけに
     彼の訪問は素直に嬉しい出来事だった。

私は、お客さんが来るまでの暫くの間、Cさんと向かい合い、会話をする事になった。
彼からの幾つかの問いに、私は答えた。

そして彼は、しっかりと私の目を見て
「永山さんの話って、本当に全部ご自分の体験に基づいた話なんですね」

私は笑いながら、答えた。    
「まあ、私が言える事って結局、自分の体験の話になってしまうんですよ」

彼は、「なんとなく、そろそろお客さんが来そうな感じがしますので、席を空けますね」と言って、
妻の隣のベンチに戻った。

          
私は煙草を燻らせながら、客待ちをする事にした。
烏丸通りのバス停に目をやると、バスから乗客がドカドカと、降りていた。
その中には、何組かの外国人の旅行者の姿もあった。
この界隈には、外国人の観光客たちにとって、安く泊まれる宿があるのだ。

私の前を、背の高い一人の外国人の男が通り過ぎた。
私は、10年前の夏の旅で出会った、カナダ人の男の事を思い出した。


     その夏、私は津軽の地・弘前にいた。
     「必殺ねぷた人」の、若き絵師・チャロは2年目を向かえ、
     組ねぷた(人形ねぷた)「竜子天舞」の製作に燃えていた。

     私は、間近に迫った、ねぷた祭りの本番日を睨みながら、
     扇ねぷたの骨組み修理と、組ねぷたの台座部分の組み立て作業に追われていた。
     
     ようやく、張りぼての組ねぷたも、台座の上に載せる日であった。
     その頃になると、徐々に関東各地からのメンバーも集まり、
     ねぷた小屋の、隣に建てた大型テントでの生活を始めていた。
     遥か沖縄のさらに南の島・波照間島から、海人(うみんちゅ)の家族がやって来た。
     その家族に連れられて、がっしりした体格の外国人男性が一人いた。
     
     カナダ人の名は、ジャック。
     日本語に堪能な彼は、私を含め、ねぷた小屋の住人たちの、人気者になった。
     私の大工仕事の作業でも、心強い人材として働きを見せてくれた。
     祭りの夜、彼と私の酒を飲み交わした時の会話である。

          「ジャックって、ほんとに日本語が上手いよね」

          彼は、真剣な視線を少しだけ上に向けた後、私に視線を移すと、
          自分に確認する様な目で、口元に笑みを浮かべ答えたのである。

          「ジャッキー、私はね、カナダの言葉と英語と日本の言葉は、解かるけど
           未だに薩摩の言葉と、津軽の言葉は解からない」 

          彼のこの言葉に私は、目を見開いた。
          この男がいかに日本通であるかを、はっきりと感じたからだ。
          すぐさま、私は彼に問うた。

          「ジャック、あなたが日本で一番好きな所は何処?」

          「郡上八幡だよ、ジャッキー」
          「この弘前も確かにいい所だ。それに、この"ねぷた祭り"も実にいい」
          「でも、やはり私の一番のお気に入りの町は、あの郡上八幡」
          「あの町には、"郡上踊り"って踊りがあって、二ヶ月以上の間、
              毎晩、街の中を大勢の人が踊り、夜通し踊る時もあるんだよ」 
     
          私は、岐阜県の飛騨高山には自転車の旅で行った事があった。
          しかし、彼の口から出た郡上八幡は、まだ私の知らない町だった。
          私は、私の先々やるであろう旅への思いの中に、行きたい所として、
          まだ見ぬ彼の"日本で一番の町"の名を、しっかりと刻み込んだ。
          そして、私は笑いながら、目の前の嬉しい男に言った。

          「ジャック、俺もいつの日か、そのお勧めの町に、行くだろう」

          彼は、私の言葉に笑顔で頷いていた。

     翌朝、ジャックは波照間の家族と共に、長野県の彼の別荘へ帰った。
     彼らは、JRの"青春18キップ"での旅だったのである。
     別れ際、彼は片手に切符を示し、笑いながら言った。
     
          「ジャッキー、日本で安く旅をするなら、"これ"だよ」
     

     私は、ねぷた祭りを終えると、
     青森、岩手・遠野、秋田・湯沢、そして山形・南陽へと南下しながら、
     スカイスポーツを通して出会った、各地のハンググライダー、パラグライダーの     
     友人たちのもとを訪ねた。
     いつも暖かく迎えてくれる彼らとの、東北の夏空を"お腹いっぱい"フライトの旅となった。   

     一般の、お盆休みは終わったが、私は旅を続けた。
     山形・南陽から、一気に夜中の雨の降る国道を走り、長野・野尻湖へ向かった。
     行き先は、弘前のねぷたで別れた、ジャックの別荘だった。
     私は、彼が8月20日頃に日本を発ち、カナダへ帰る事を耳にしていた。
     私の助手席には、この夏の"弘前ねぷた祭り"の、ポスターがあった。
    
     それは、彼と行った温泉の休憩所の壁に、貼ってあったポスターだった。
     弘前を離れる際、温泉の方に事情を話し、貰ったのだ。
          
          彼への、お土産の品として

     
     ジャックの別荘は、野尻湖畔にある外国人だけの居住区にあり、
     湖畔で、行き交う外国人に道を聞くと、きちんとした日本語が、返ってきて驚いた。
     
     彼の別荘はかなり古く、なんでも彼の祖父が、大正時代に技術者として、
     日本に居た時、地元・長野の大工さんに建てさせた洋館だった。
     私は、所々に日本的な感じが見える、なんとも不思議な造りに、
     建てた大工さんの、苦労と遊び心を勝手に思い楽しんだ。

          ジャックは、私に言った。
          「ジャッキー、私はね多分あなたが、ここに来ると思っていたよ」

          私は、笑いながらポスターを、彼に差し出した。
          「ジャック、これカナダへのお土産だよ」

          彼と、そこにいた波照間の家族は、笑い出した。
          「ジャッキー、あなたらしいね」
          
     木立の間から、やさしい波の音を運ぶ、湖からの風の中、
     テラスに、笑顔があふれていた。

     翌日、別荘に彼の知人たちが、やって来た。
     一人は、学者の老紳士。
     あとの一組は、賢そうな12歳くらいの男の子と、その母親(中々の美人であった。)。
     ジャックは、知人らに私を紹介した。
     
     話題は、私の旅の話、祭りの話、30歳以降の私の生き方の話になってしまった。
     皆、笑顔のままで会話の時間が流れた。     
     男の子は、私の生き方の話を、にこにこしながら聞いていた。
     
     男の子に、母親が聞いた。
     「あなたも、ジャッキーのような生き方を選ぶ?」
     
     母親と見詰め合う、男の子の顔から、笑顔が消えていった。
     男の子は、首を小さく横に振った。
     母親は、ニッコリと一言「そうね」と言った。

     母と子のやり取りを聞いて、私も彼らも笑っていた。
     
          確かに、あの男の子は"揺れていた"


     その日の夜の事だった。
     ジャックは、私と波照間の長女を、夜の散歩に誘った。
     歩きながら、彼は私に言った。
     「ジャッキーの夏休みは、いつまで?」

     「あと一ヶ月だよ」
     「いつもだと、もう東京に戻って、仕事を始めているんだけど、今年は特別」
     「一度、日本海の夕陽を毎日旅をしながら、見たいと思っていたから、
         この夏、やることを年始の頃に決めたんだよ」
     「東京へ戻った頃に、仕事が無くなっていたら、まずいけどね」

     彼は、私に言った。
     「お金に余裕がある人が、君のように生きるのは、かまわない」
     「でも、君の場合は、そうじゃないだろう」
     「君の生き方は、嫌われるよ」
     「ジャッキー、君のような人のことを、"根無し草"って言うんだよ」
   
     暗い夜道を歩く3人に、暫くの間、沈黙が続いていた。
     
     まるで、世の中の流れに沿った、真っ当な生き方をするべきと言われたようであった。     
     頭上に目をやると、満天の星星が輝き、
     野尻湖の岸辺に、やさしく打ち寄せる波の音が、いつまでも聞こえていた。
      
     翌朝、私はジャックと波照間の家族に笑顔で見送られ、野尻湖をあとにした。



この日、私はお客さんの中の一人に、会話の中で"根無し草"の話と、本当の意味を伝えた。

アーケードの、灯りが落ち始め、妻と私は、「聞く屋」の店閉まいをして、帰ることにした。

千葉から来たCさんは、京都駅からの深夜バスで、東京へ向かうため、
既に北大路を、あとにしていた。
彼は、「聞く屋」で見送る妻と私に、笑顔で8月末に再度、京都に来る事を伝え、帰って行った。
また、会える日が楽しみである。

烏丸北大路から、紫明への路を歩く。
この夜は、噂に聞こえた暑い京都の夜となり、頼れる物は自前の扇子であった。

街灯のあまりの明るさに、大木のアブラゼミは、眠る事も出来ず、まだ鳴いていた。


<追記>

かつて私は、周囲の人達から、私の生き方について様々な言われ方をされていた。

「世捨て人」・・・本当の意味は、世の中の常識ばかりに囚われて、自分の本心を自ら
                   偽りの世の中に捨て去った、愚か者の事である。

「根無し草」・・・本当の意味は、偽りだらけの安心社会にのみ、根を張ったつもりでいるだけで、
                   自分の本心に、本当の根を持たずにいる者の事である。
                   だから、世の中の流れに、いとも簡単に流されてしまうのである。
         
         本当の意味で、根っ子のある人は、解かり易く言うと、自分の本心に本当に素直で
                   「がんこなひと」で、「あまのじゃくなひと」である。
                   
その他には、極楽トンボ、寅さんみたい、やくざな生き方だの様々であった。

一方では、「自由人」だねって・・・自由のすぐ隣に、しっかり不自由が、スタンバイしている事、
                    わかってんのかなあ。

       「風のようだ」・・・・・・私の事、見えてなかったのかなあ。

       「うらやましい」・・・・・この言葉を口にする人に、じゃあ貴方もやればぁーって言うと、
                    大抵、「でも」だの、「いやぁ」だの返ってくる。
                    やるのが嫌なくせに、はぁ?なに言ってんの?

                    本当にやりたい人は、「でも」なんて言わないし、
                    「うらやましい」を言う前に、もうやってるって!


郡上八幡へ
        郡上八幡へ行ったのは、この4年後の秋と翌年の冬だった。
        ジャックの言葉通り、いい町だった。
        また、行きたいものである。

  


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