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2024/02/23

『根なし草』

鴨川沿いの土手に腰を下ろしていた。私の前を、優し気な巨漢の外国人旅行客の男性が通り過ぎた。川風にタバコの煙をなびかせ何気なく、東山連峰越しの青き夏空を見上げると、ある年の夏の旅先で私が告げられた言葉が蘇ってきた。

「ジャッキー、お金に余裕がある人が、君のように生きるのは構わない。でも、君の場合はそうじゃない。君の生き方は嫌われるよ。君のような人のことを"根無し草"って言うんだよ」

そう、あれは37歳の夏だった。その言葉を告げた男の名は、ジャック・ウッドワース。普段はカナダのバンクーバーで暮らし、子供の頃から毎年日本を訪れ続けている40代の旅人だった。

当時東京に暮らしていた私は、毎年、夏に一か月の休暇を取り、郷里の鹿児島とは真逆の東北地方で流れ旅の日々を満喫していた。
休暇の半分は、津軽弘前に滞在していた。縁あって「必殺・ねぷた人」に加わっていた私は、滞在期間中「ねぷた小屋」に寝泊まりして、人形ねぷたを下支えする台座造りを担当していた。製作することにどっぷりハマりまくっていた頃だった。現地の子供らに付けられた私のニックネームは「ジャッキー」だった。

祭りの本番日が間近に迫り、漸く人形ねぷたを台座の上に担ぎ上げる日を迎えた。
その日は夕暮れ時になるほどに地元で暮らす大人らに混ざり子供らも大勢集まった。日本各地で暮らす「個性的な家族たち」が、年に一度の祭りで家族との喜びの再会を交わす。その賑わいは、本番運行当日をも凌ぐほどだった。
賑わいも一息つき始めた頃、新たな歓喜湧きあがった。沖縄・波照間島から来た芸術家揃いの海人家族とジャックが訪れたのだった。

初めて会ったジャックは、不動明王を思わせる立派な体格のカナダ人で、この夜の「台座上げ」にはもってこいの登場になった。日本語に堪能な彼は、たちまち「ねぷた小屋」の人気者になった。私の作業の心強い助っ人に加わり、祭りの本番・運行を終えた連夜、私も彼と酒を飲み交わし会話を交えていた。

拓美「ジャックって、日本語で話すのが本当に上手いよね。」

彼は、思慮深い眼差しを少し上に向けて、自分自身に確認する様な間を取りながら、口元に笑みを浮かべ答えた。
ジャック「ジャッキー、私はね、カナダの言葉と英語と日本の言葉は解かるけど、未だに薩摩の言葉と、津軽の言葉は解からないなぁ。」 

私は目を見開き、どんだけ日本通なんだ⁉と思い、すぐさま、続けて問い掛けた。
拓美「ジャック、あなたが訪れた日本の街で一番好きと云える街は何処だい?」
ジャック「郡上八幡だよ。この弘前も確かにいい所だ。この"ねぷた祭り"も実にいい。でも、どこの街が一番かと聞かれたら、迷わず郡上八幡と答える。あの町には、"郡上踊り"って祭りがあってね、街の中を二か月以上、毎晩、大勢の人が夜通し踊るんだよ。」

私は26歳の夏、自転車の旅で岐阜県飛騨高山の地を訪れている。しかし、彼が口にした郡上八幡は知らない町だった。その町の名を、しっかり胸に刻み込むと、笑いながらジャックに云った。
拓美「ジャック、俺もいつの日か、お勧めのその町に行くだろう・・・。」

彼は、笑顔で頷いていた。
翌朝ジャックは、波照間島の家族と共に長野県・野尻湖に行くと告げて弘前を去った。
別れ際、指で摘まんだJR・青春18切符を得意げに振りながら、彼は言った。
ジャック「ジャッキー、日本で安く旅をするなら、"これ"だよ」

私は、ねぷた祭りを終えると、青森、岩手・遠野、秋田・湯沢、そして山形・南陽市へと南下しながら、各地のハンググライダー、パラグライダーの友人たちのもとを訪ね、東北の夏空で"お腹いっぱい"フライトの旅を楽しんでいた。
ジャックから日本の滞在日程について聞いていた私は、フライトを堪能したのち、山形・南陽市から一気に、夜中の雨の国道を、ジャックの別荘へと向かった。
既にお土産は手に入れていた。彼と行った銭湯温泉に貼られていたねぷた祭りのポスターだ。弘前を立つ前に、銭湯温泉の方にお願いして頂いていたのだ。

長野県・野尻湖畔には、外国人たちが建てた多くの別荘が点在していた。教えて貰った住所を頼りに、湖畔沿いで行き交う外国人たちに道を聞きまくった。驚くことに、堪能な日本語だけが返ってきたのだ。

漸く別荘にたどり着くと、ジャックの出迎えを受けた。
ジャック「ジャッキー、私はね多分あなたが、ここに来ると思っていたよ。」
私は笑いながら、ポスターを彼に手渡した。
拓美「ジャック、これカナダへのお土産だよ。」
そこにいた波照間の家族は「ジャッキー、あなたらしいね。」と笑った。

別荘は、大正時代に技術者として日本に来たジャックの祖父が、長野の大工さんに建てさせたのだった。古い洋館だったが、日本の大工さんの苦労と遊び心を随所に感じる造りだった。
木立を抜ける風が、野尻湖のやさしい波の音を運ぶ。テラスには、笑顔があふれた。

翌日、別荘で彼から外国の知人たちを紹介された。
学者の老紳士と、如何にも賢そうな12歳くらいの男の子と、その母親(中々の美人であった)。
話題は、私の旅の話、祭りの話、30歳以降の私の生き方の話に及んだ。
誰もが笑顔のまま、時が流れた。

途中、私の話をニコニコしながら聞いていた男の子に、母親が聞いた。
「あなたも、ジャッキーのような生き方を選ぶ?」
母親を見つめる男の子。笑顔が消えて、首を小さく横に振った。
母親はニッコリ微笑むと、「そうね。」と言った。
ジャックと老紳士も、頷いて笑った。

その日の夜の事だった。
ジャックは、私と波照間の長女を夜の散歩に誘い、歩きながら、私に言った。
ジャック「ジャッキーの夏休みは、いつまで?」
拓美「あと一ヶ月だよ。いつもだと、もう東京に戻り仕事を始めるんだけど、今年は特別。一度、日本海各地の夕陽を眺める旅をしたいと思っていたから、年始の頃にそう決めたんだ。東京へ戻って、仕事が無くなっていたら、まずいけどね。」

ジャック「お金に余裕がある人が、君のように生きるのは構わない。でも、君の場合はそうじゃない。君の生き方は嫌われるよ。ジャッキー、君のような人のことを"根無し草"って言うんだよ。」
まるで、「世の中の流れに沿った、真っ当な生き方をすべき」と言われたようだった。

会話が途絶え、みな、黙ったまま歩いていた。
空を見上げると、満天の星々が輝き、野尻湖の岸辺に、やさしく打ち寄せる波の音が聞こえていた。
俺は、普段、口にしないようなことをしゃべり始めた。
「でも、俺思うんだよね。
みんなはこの社会に根を下ろしている。俺は自分の心に根を下ろしている。
この社会に根を下ろしている人は、この社会が一変したら根こそぎもっていかれる。
でも、俺は自分の心に根を下ろしているから、そうはならない。。。」
二人は沈黙したままだった。

翌朝、私はジャックと波照間の家族に笑顔で見送られ、野尻湖をあとにした。






(注釈:2008年8月14日に「根無し草の夏休み」というタイトルで掲載したものを、手直しした記事です)
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