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同窓生K君からの電話
2008/07/15(Tue)
京都は学生の街である。

紫明の自宅から程近くにも、同志社大学がある。
夕方、私は仕事仲間と四人で、数日前から楽しみにしていた同志社大生による、
「演劇集団Q」の芝居を、観に出掛けることにした。
妻は、どうしても終えたい仕事のため、お留守番となった。
    
     (いっしょに、芝居を観に行けないのは、なんとも残念である。)
 
     私自身、永い東京時代に、テレビ・舞台・イベント業界の、裏方の仕事をしてきた。
     そこには、いま活躍している役者や、声優たちの若かりし夢を追い駆ける姿が、
     数多くあった。
     彼らとの関わりは、彼らの舞台を観に行くだけでなく、
     プライベートでも、30代前半に、役者の友人らに誘われ、下北沢・駅前劇場で、
     一人で舞台のセットを手掛けた体験は、私の「宝物」のひとつになっている。

自宅を出ると陽は、かなり西の山に傾き「夕涼み」と、いきたいところだが、
昼間の暑さは、まだまだしぶとく、夜に向かう通りの風と、せめぎ合いをしていた。

京都らしい格子の家が建ち並ぶ、裏通りを抜けると、広い吹き抜けのある校舎が見えた。
"小屋"(劇場)は、広場の突き当たりにあり、中に入ると、
受付の若い男女が、いかにも新人といった感じの、初々しい笑顔で、迎え入れてくれた。

上段の客席に、仲間と並び、私はケイタイをマナーモードにすると、
ぶるぶるっと、電話がきた。
着信画面を見ると、中学の同窓生のK君からだ。
私はあわてて、小屋を飛び出し、広場へ出た。
 
     (私は少しだけ、開演時間が近い事を、気にしていた。)

先週、東京でのセミナーの案内を、全国の知人らに送った。もちろん、K君にも。
実は昨日も、彼からの電話をもらったのだが、その時はなにやら不自然な感じの会話で終わった。
彼の声を聞くのは、実に七年ぶりだったのである。

話を始めたものの、お互いに鹿児島の方言は、すでに消えてしまっていた。
私の記憶とは違う声も、話すうちに、少しずつ記憶の中の彼の声に戻っていった。

彼の話は、かわいい子供の事や、故郷で暮らすT君に、もう孫がいる話が続く中、
今年で、47歳になる事への驚きが、二人の会話に漂っていた。

「"たくべぇ"の、東京のセミナーに行きたいんだけど、土・日が仕事でさぁ。」と、
残念そうな声であった。(子供の頃のニックネームは、"たくべぇ"だった。)

      「そうか、まあ、可愛い子供がいるんじゃ、がんばって仕事しないとねぇ。」

「田舎の友達と会って、酒を飲みながら"たくべぇ"の事を、話すとするじゃない。
こうやって電話で聞いた話より、やっぱり"たくべぇ"のやってる事を、
自分で直に見て、話たいじゃない。」

      私は、彼のその言葉が、とてもうれしかった。
      そして、胸の中で「それだよ。」と、つぶやいた。

      彼の言葉から、見えてくる事がある。
      まるで、井戸端会議のように、不確かな情報が、飛び交っているこの社会。
      妄想や、憶測だけの話を持ち合い、いつの間にか嘘の話に、疑いすら持たず、
      終いには、確かめようともせず、勝手に思い込み、解かったふりまでして
      一体、なにやってんの?って感じである。
      
      私は思う。自分で体験・体感した事が、本物(本当のこと)なんだと。
      彼は、その事を知っているのだ。

      私は、彼の残念がる言葉に、

      「じゃあ、次に東京でセミナーをやるときは、平日もやるね。」と、言った。

彼は、笑いながら、
「今度、同窓会で会ったら、酒を飲もう。 じゃあね。」

      「うん、楽しみに頑張るよ。電話ありがとう。」

電話を終え、天を見上げた。
私は、学生たちの若い声をのせて、広場をめぐる夜風の中にいた。

時計に目をやると、芝居の定刻だった。
私は、小屋に急いだ。

客電が落ちた。 芝居が始まるのだ。
      
    暗闇の中、 多くの友人たちの励ましと、K君の言葉に、
            私の胸は、初舞台に向けて、熱くなっていた。
                                        (おしまい。)



追記   「本物を求めたいのなら」
      
      新潟の友人から、心理学の博士の本をもらったので、
      パラパラと、目を通してみたら、ナントモ中途半端な内容で、
      笑えもしない呆れたものだった。
      要は、心理学というマニュアルにおいて、生身の人間を、
      相手しているだけだから、所詮ズバッとした事など言えはしないのである。
      
      心理学を、かじった事のある人に於いては、
      「当人の、気持ちになって」などと、のたまう鈍ら刀でしかない。            
      当人の、気持ちなど、はっきり言って100%解かるのは、当人だけであって、
      解かったつもりでしかやってない、いいかげんな事を言ってるだけなのだ。

      私の所に来た方が、決まって口にする言葉がある。
      「貴方は、他とは違い、自分の体験に基づいて、話をしていますね。」
      私にしてみたら、あたりまえである。

      マニュアルに基づいて、語る者がいて、
      体験に基づいて、語る者がいる。
      どちらの言葉が、聞き手の心に響くかは、言わずもがなである。

      体験から得た知識こそが、一番なのだと。
      先に、知識(理解)を得た者は、その後で実践(行動と体験)をしてこそ、
      初めて、真の知識を得られるのだと。
      そして、その知識を共有し合う体験の、繰り返しの中で、絶えず磨かれていくのである。



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