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火祭りのいいつたえ ・2 「ねぷたからの贈り物」
2008/10/23(Thu)
           「ねぷたとは、子供らの" 夢"である」

青森・五所川原市の、あの「立佞武多」を復活させた男、三上真輝氏が私に教えてくれた言葉である。

かつて人に、「あなたにとって、ねぷたとは何か」と問われたとき、私はいつも、こう答えた。
        
           「私にとって、ねぷたは魂・ソウルだと」

昨年の夏、さらに今年の夏と2年続けて、弘前・ねぷた祭りには足を運んでいない。

            しかし、私はわかっている。

私が、どこで何をしていようとも、たとえ「ねぷた祭り」の夜、私が津軽の地に居なくとも、
私には、いつでも「必殺ねぷた人」の魂の雄叫びが息づいていることを。

         津軽の子供たちよ、このことをよく憶えておきなさい。


前回のつづきである。

高城邸での「大文字・五山の送り火」に、私と妻が招待を受けたことから、
この夜の主役・渡守希さんに加え、彼女のスタッフである黒田氏との出会いが始まった。
それは、このあと私にとって予期せぬ転回を迎え、「新たな出会いへの扉」が、開かれる夜となった。

私の口から飛び出した「ねぷた」の響きは、目の前のふたりの表情に変化をあたえた。
ふたりは、瞬時に目を合わせると、離れた観客たちの中へ声をかけた。

  「永山さん、ちょ ちょっと待ってくれますか。」

  「ねぇ Kさーん、ねぶたの話なんだけど。ちょっといーい?」

私の前に、細身の爽やかな若者がゆっくり駆け寄ってきた。

  「えっ、ねぶたの話?こちらの方がそうなんですか?」

私は、思い出したように「今頃なんですが・・・」と言って、3人に名刺を渡した。
渡守さんは、名刺を所持していなかったが、ふたりの若い男たちとは名刺交換となった。

   渡守希さんは、京都造形芸術大学出身の舞踏家だと、パンフレットに記載してあった。
   黒田氏は、渡守さんの出た大学の後輩で、アートディレクター、映像作家、そして、WEBデザイナーの
   肩書きを持っていた。
   K氏は、京都造形芸術大学・プロジェクトセンターの教務の方だった。
   
この3人の関係は、どうやら同じ大学での繋がりの様であった。


私が「ねぶた」関係者とのことで、彼は興味深げに質問を始めたのである。。

  「ところで、永山さんは青森の方なのですか?」

私は、笑いながら答えた。
      「いいえ私は、生まれも育ちも九州・鹿児島なんです」
      
      「高校卒業後、進学のため上京してその後、今年の二月半ばまでずっと東京暮らしでした」
      「ああ、今はこの京都に住んでいます。自宅は、鞍馬口からすぐ近くの紫明にあります」

  
  「えっ、じゃあ何で青森のねぶた祭りへ?」

      「あのぉ、私が参加していたのは、青森市ではなくて弘前市なんですね。」
      「青森は、ね・ぶ・たですが、弘前では ね・ぷ・たって言うんですね。」
       
      「弘前ねぷたのほとんどは、扇の形の物なのですが、私の参加していた団体では、
       大人たち用は青森みたいに、張りぼての人形ねぷた。子供たち用は、扇ねぷたでした」
        
      「一般には、青森ねぶた・弘前ねぷた・五所川原の立佞武多が有名ですが、
      青森県内には他の町々でもやってて、扇形でもね・ぶ・たって呼んでいる所があって、
      呼び方は様々です」

私は、弘前・ねぷた祭りの団体・「必殺ねぷた人」との出会いの経緯を話し始めた。

      「きっかけは、私が27歳のときですから、ちょうど20年前になります」
        
      「その年の夏に私は、自転車の一人旅をしたんですが、富山まで行った時、
      ふと、私に対してとても厳しかった先輩のことを思い出して急に彼と会いたくなっちゃいましてね」
        
      「その先輩が、弘前ねぷたに参加していた事を思い出して、そのまま夜行寝台の
      列車に乗って翌朝、弘前に着いて、その日はねぷた祭りの最終日で、
      祭りの中を探し回り先輩と会えたんです」
        
      「その時のことが"きっかけ"で、私は"ねぷた"と関わることになったんです」

  
  「へぇー。で、永山さんは、その団体でねぶたを造ってらっしゃったんですか?」

彼からの問いに、私は答えた。

       「祭りに参加し始めの頃は、祭りの夜だけの数日間の参加でした」
                                                           
       「その後は、祭りの始まる数日前に行き、最後の組み立ての手伝いに加わり、
        祭りの夜を楽しむだけの時期があり、本格的に、造りになったのは今から12年前、
        35歳の夏に扇ねぷたを造らせてもらう機会があったんです」

       「そして、その夏の祭りの終わりに、団体の絵師に世代交代の話がありました」
       「自ら名乗りを上げた新しい絵師は、"必殺ねぷた人"の仲間内では"チャロ"と
       呼ばれていた中川俊一という男で、彼は当時まだ二十歳前の若者でした」

       「しかし、人形ねぷたの台座は老朽化していたことで、私は彼から新しい台座造りを
        頼まれたんです」
       
       「その翌年から私は、台座・土台造りを主に受け持ち、人形部分との合体後は、
        補強と背面の「見送り」と呼ばれる装飾、さらに扇ねぷたのメンテナンスから、
        各所の様々な造作と組み立てと、調整を担当することになったんです」

       「その中で、私は仕事で身に着けた" ブロの技"を、子供たちに教える体験を得まして、
        まあ、その体験が東京での本業でも、活かされる事に。 なーんて事になったんです」

       
       私自身、針金で上部の人形を造った経験はないが、永年造りから関わってきた事で、
       どうやって組み上げるかは、見て知っていることを付け加えた。

目の前の3人はニコニコしながら、私の話に聞き入っていた。

Kさんの「?」がやってきた。

   「ねぶた・・いや、ねぷたですか。あれって中の灯りは電気なんですか?」

       
        「ほとんどの場合は、人形ねぷたも扇ねぷたも光源は電気ですが、
         私が造らせてもらった扇ねぷたは、光源がすべてローソクの物でした。」

  
   「えっ、ローソクって?ねぷたって表面が、紙で出来ているから火で燃えちゃって
    危なくないんですか?」

   
        確かに・・・・普通は、そう考えても不思議はないと、私は思った。

        「まあ、私のいた団体で私が知る限りでは、燃えた事はなかったですね」
       
        「ただ、1 、2度よその団体の物で高さが2メートル程の扇ねぷたが、風で煽られて
         燃えるところを見たことがあります」
        「和紙にロウを使って描いている分、燃え尽きるまではあっという間なんです」

        「因みに、私が造らせてもらった扇ねぷたは、高さが4メートルの中型サイズで、
         祭りの運行前から本拠地のねぷた小屋に帰り着くまで、ずっとねぷたの中に
         小・中学生の男の子が二人、ローソクの灯が消えないように、入っていました」

私は、「火の番」と呼ばれるそのポジションが、男の子たちの「あこがれ」のポジションであり、
なかには女の子でさえ「火の番」をやりたがる場面もあった話をした。

        さすがに、女の子の場合は却下であったと付け加えた。

  
   「でも、もし燃えちゃったら、やはり危ないですよね。」

         私は、「?・・・」となった。
        「あの、先ほども言いましたが燃えたら1分もないくらいで、
         あっという間に紙は燃え尽きて、木の骨組みだけになるんですね。」

         「あと、扇の形に張ってある紙の外と内には、ぱっと見では気づかないくらいの
         細い針金を何本も張って、紙が風に揺らされてもローソクの火に当たらないように
         なっているんです。」

        「内部の構造は、子供たちが動き易く足場もありますし、
         造った私はもちろん、中に入る男の子の意見を確認して仕上げていました。」

私は、さらに「火の番」の男の子たちに、いざという時はじっとしている事や、
決して慌てて飛び降りたりしないよう念を押した話を付け加えたのである。

私は、ねぷたの「火の番」の話を続けた。
     
        「それから、火の番の男の子はねぷたの出入り口の潜り戸のロックを、
        内側から自分の責任で閉めるんですね。出入りは、彼らの判断に任せています。」
        
        「ですから、責任においては子供といえども、一人前の扱いをします。」


               大人たちから任されるポジションに就く。 「その誇り」

        これは、かつて子供の頃に「火の番」の体験をしたという青年から聞いた話しである。

        
        「だから、男の子たちは火の番に憧れたのだと私は思います。」

     私は、笑いながら、
        「だって中々ないでしょ、子供の頃そんな体験をすることって。」


     いやはや、私は良くも悪くも「ねぷた」の話になると、止まらないところがある。


今度はKさんからの、大学での「ねぶた」造りの話題になった。

昨年、彼の勤める大学で初めて授業の一環として「ねぶた」を、学生たちが造ったとのことだった。

そして、今年も夏休みを終えた9月上旬から、一年生約800人を1チーム35、6人の20チームに分けて、
大学構内でなんと20体もの「ねぶた」を造るとのことだった。

        
       もう、私は興味津々である。 「見たい!行くべし!」の思いが募った。


   「ローソクの明かりって、いいんでしょうね。」

渡守さんに加え、彼も光源をローソクにした話に反応してきた。

       「ええ。電気とは違い、紙のむこうにゆらゆらとローソクの炎が揺れて。」
        
       「街明かりの無い街外れの暗い道を、ねぷたが行く様は赴きがあって、実にいい絵です」
       「幽幻っていうんですかね?怪しげな美しさがありますね。」

   
   「永山さん、人形タイプのねぶたでもローソクで出来ますかねぇ?」

私は、「うーん・・・」と、返事に困り考えた。
私はやった事がないのだが、出来ない事はないのでは?と、思った。

       「電気の場合と比べて、デザイン的な表現や構造上にあれこれ制約が出てくると
       思われますが、紙とローソクの炎との距離、火を絶やさないようにメンテナンスのための
       出入りなどなど、様々な工夫をすれば出来ない事はないと、私は思いますが。」

   
   「えっ?ローソクの火の点いている中に入るんですか?」

彼は、「それはちょっと・・・」のような反応を見せた。
私は一瞬、「?・・・」

       「あのぉ、さっきも言いました様に、子供でも出来る事なのに大人が出来ないなんて
       おかしいですよねぇ。」

       「で、今回の大学で造られる”ねぶた”は、電気ですか?それとも・・・」

彼は、私の問い掛けに「とんでもない」と言わんばかりの手振りで、笑いながら答えた。

   「いやいや、 やはり今年は予定の設計通りに電気でやります。」

       「まあ、そうですね。電気の方がいろいろと無難だと、私も思います。」
       
       「電気でやることに、既に決まっているのをあえて変えると、何かと余計な不都合を
        生む素に為りかねませんからね。」

Kさんから、もうひとつ興味深い話題が出てきた。

昨年ねぶた作りを経験した2年生のち25、6人で「ねぶた」を5体作り、
10月中ごろ、京都市内にある「粟田神社・あわたじんじゃ」のお祭りに参加するという話だった。

さらにである。彼の口から京都の「粟田神社」に青森・津軽藩より古い「ねぶた」の話が伝わって
いて、100数十年ぶりに今年の祭りで「ねぶた復活」との話が出てきた。


歴史の話好きな私も、一般的な「ねぷたの起原」の知識はあった。
しかし、ねぷたは京都が先とは?まあ、何事にも諸説ある世界である。

京都は、至るところにお寺と神社のある都市である。
今年の2月に京都に移り住んだ私には、神社の方には失礼ながら、「粟田神社」の名前は初耳だった。

           「京都の街を、ねぶたが練り歩く」

いやはや、「世の中なにが起きてもおかしくない」と、常々思っている私である。

最早、「ねぷたの起原」やら神社の確認などの話は後回しである。

なにより、昨年、そして今年と2年続けて「ねぷたのない夏」を送った私にとって、この話題は

                 「ご馳走」である。

                 「俺も、行くべし!」で、ある。


大学生といえば、私が関わった12、3年前の、あの"ねぷたの子供"らと同い年である。

              「ねぶたをつくる彼らに会いたい!」

私は、K氏に私の思いを「そのまま」伝えたのだった。

彼は、私の申し出を笑顔で受け入れてくれた。


思いがけない「嬉しい出会いと話の展開」に、私は「大」の文字を思った。
振り向くと、うしろで一部始終を見ていた妻が、笑顔で一言。

           「拓ちゃん、よかったね」で、ある。

私たちは、互いに「ありがとうございました。」を、別れの挨拶とした。

           また、会えるときが楽しみである。


私と妻は、屋上を降りる前に高城家の娘さんと会い、「お招き」の礼を述べた。
「舞い手」の、渡守さん、黒田氏、K氏と楽しく話をしたことを、伝えた。

すると彼女は、「そうでしたか。それはよかったですね。」と、私たちを笑顔で見送ってくれた。


私と妻は高城邸を離れ、すっかりひと数の少なくなった鞍馬口通りを、紫明の自宅へ向かった。

私は、これまでの私の多くの出会いと体験が今に繋がり、さらに今宵の新たな出会いへと
繋げてくれたのだなと思った。

           「ねぇ、たまには近場の居酒屋で、どーお?一杯。」

私は、妻からの言葉にすぐさま「うん。いいねぇ。」と返し、ますますご機嫌になった。


鞍馬口通りを歩きながら私は、ゆっくりと夜空を見上げた。

高城邸に向かう時に見た、鈍よりとした怪しげな雨雲は、すっかり姿を消していた。

上空の風を目で追うと、振り向いた「大文字山」の遥か高みに、名残りの雲を残すのみであった。




時は流れ、この「大文字・五山の送り火」の夜から、一月余りの時を過ぎた秋晴れの日の午後、
       私は「大」の文字を目指し、秋風の京都の街へ自転車を走らせるのである。

次回へ・・・つづく。である。



「追記」

1・「出会い」について

私に高校時代、油絵を教えてくれた中島千之氏。
いまでも親交を続ける師が、卒業の際に私への送る言葉は「一期一会」だった。

私自身、旅好きが功じて多くの「出会い」を得ることになった。

「出会い」は、人生の旅の中にあると捉えれば、誰にでも「あたりまえに」あるものだ。

特別なことはない、普通に生きている中で、自分の思いのままに動けば必ず誰かと出会う。

自分に本当に「素直」に行動しつづけると、「出会い」は普通にやってくるものである。

本当の名前も隠し、本当の自分も隠し、本当の思いも隠し、本当の顔さえ見せない。

これでは、誰にも憶えてもらえない。 誰にも気づいてもらえない。
      誰にもわかってもらえない。誰にも会ってもらえない。

         これでは、あきらかに妄想ごっこでしかない。

「本当の出会い」は、生身のやりとりを続けることでしかない。
会えばわかる。 話せばわかる。 本当の思いを出し合うことで「本物」になるのだ。



2・ブログをかいて

・本文の中で、「火の番」の話がありました。

子供たちに出来たことなのに、大人が出来ないなんて。普通に考えてばかげた話。
「こどもは正直」なら、「大人だって正直」は簡単に出来るよね。

子供に出来ないって言ったら、「えーっ、できないの?だめじゃん。」って、間違いなくバカにされます。

もしくは、できない大人たちは、子供たちに足元を見られて、子供たちの「うそ」がばれても
叱る事さえできません。
           
           子供たちを「甘く」見てはいけません。

これって、見方を変えると、子供に親が「おしえて」もらっている状態ってこと?

           「子は、親の鏡」って言いますからね。


・「表現したい」と思うものを、「かたち」にするには、

あの手・この手で「考えて試してみる」こと、その繰り返しである。
繰り返しやり続けることで、知識に経験からの知識が加わり、いいものになるのです。
            
        あの手、この手のノウハウは、なんでも共通である。

これだけ世の中に「ありえない」ことが、起きている・・・目の前に「ある」のだから、

           「なにが起きても不思議はない」

「できそうもない」ことが・・・出来ても、なんの不思議もないのである。

やる前から、「できない」を言う人は、「やりたくない」と、言うべきである。

正しくは、「自分は、責任を執りたくない」と、言っているのだ。



3・「大」の送り火に見えたもの

雨上がりの暗い山影のなかに、浮かび上がった「大」の字は、交差した中心部から
しっかりとした火の手を上げ、五つの方向へ「その光」を放つように広げていった。

「人」の字は、支えあう・もたれあうの字ではない。
        ひとりで立っているヒトの姿である。

己の内なるものを放てば「火」となり、腕を開けば「大」の字が「光」の字となるのだ。

自分の外に求めた「光」など、所詮「まやかしの光」でしかない。

「本当の光」は、自分の心の中に創った「苦しい闇の奥」にしかないのである。

内なるものとは「素直」である。 「正直」な思いである。 「自分の本心」である。

              それは、「真・マコト」の心である。

薄汚れた心では「光」など放てない。 自ら「こころ」を磨かないと「闇」のままである。

        自分で汚した「こころ」を磨くのは、他の誰にも磨けない。

        どんなに苦しくとも、磨けるのは「自分」しかいないのである。


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コメント
- ブログ訪問者の方へ -
コメント設定の変更のお知らせです。

今まで、ブログ記事へのコメントを「管理者の承認制」に、していましたが、
「そのまま表示」に変更いたしました。

皆さんが、感じたこと・思ったことなど、なんでも書いて送ってください。

よろしく、お願いします。 である。
2008/10/23 17:23  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
- こんばんは -
お城好きの女将のこと、東北もほぼ一周しているというのに、実は未だ弘前を訪れた事がございません。
いつか五能線に乗って三内丸山遺跡を見て、蜆ラーメンを食べて、弘前城、そしてねぷたへ、と青森への旅を夢想し続けております。

あの灯りが電気であろうと存じておりましたが、まさかにろうそくも使われているとは!
そして子供たちによる「火の番」
どんな祭りにも見えない所に積み上げてきた歴史があり、それがまた魅力なのだよな、と感慨深く拝読いたしました。
2008/11/01 01:44  | URL | 江戸っ子若女将 #-[ 編集] ▲ top
- 江戸っ子若女将さまへ -
コメントありがとう。
五能線は、日本海沿いを走るいいところですね。
私のお気に入りは、深浦の日本海に沈む美しい夕陽で、これまで三度、かの地で夕陽を堪能したあと、野宿をしたことがあります。女将さんは、お城好きなのですね。
東北の城跡で、私が驚いたのは岩手県・二戸市の九戸城跡。昨年の夏、初めて訪れました。秀吉に最後まで逆らった九戸政実の居城でした。自然の地形を最大限に活かした、大要塞でした。感じたことは、九戸の武士たちの「気概」でした。天守閣も何も残っていない、桜の木だけが残るのみでした。私は、山城が好きなのでした。
たぶんそれは、私の実家の果樹園が薩摩藩・島津氏の発祥の地の山城のひとつだったからです。女将さんの、楽しい旅を思いながら。おやすみなさい・・・である。
2008/11/02 02:50  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
-  -
ご訪問コメントありがとうございました
お言葉に甘えてお邪魔致しました(*^-^)
ねぷた 是非見てみたくなりました♪
内なるもの・・本物の火であるろうそくのねぷた
さぞや素敵だろうと♪
maso も丹生の真赭・・名が体を表すよう精進精進です(^-^;
京都では2度目の冬をお過ごしになられるのですね
ふかしいも♪お楽しみくださいです(o^-^o) ウフッ
2008/11/09 16:07  | URL | maso♪ #auyQKGwQ[ 編集] ▲ top
- お邪魔します -
「私にとって、ねぷたは魂・ソウルだと」

「ムダなものは、何ひとつない」
    すべてのすべてが「宝物」。

ナゼが今の私の心が驚いています。

最近、ツマンナイ事でウジ②していました。
こちらにお邪魔して、つくづく自分は感謝の出来ない人間だなぁと思いました。
プチ☆反省
私事(意味不名)で申し訳ありません・・・。

ご訪問・コメント感謝致します。
私もまたこちらに元気を頂に参ります。
有り難う御座いました。
2008/11/10 10:11  | URL | ふぁにょん #-[ 編集] ▲ top
- 「maso」さんの色は・・・・。 -
コメントありがとう。・・・である。
丹生の真赭・・・から、チョットだけ調べてみました。

私なりに判ったことは、あなたのお名前の色は「朱」なのですね。
それも、赤に近いもの。ここ京都でも有名な「平安神宮」や、宮島の「厳島神社」などの建物・鳥居に使われている・・あの「朱・あか」。

かつて先人たちは、水銀を塗ることであの優雅な色を出したと聞きました。水銀は、金を得るためにも使われていました。
いかに、この国に「金」が豊富にあり、そのための技術者集団が多くいたかを、思うところです。

海の青にも空の蒼にも、そして山の碧(みどり)のなかでも「いい色」ですよね。本来は、結晶の状態では「ルビー」の赤だとか。・・・・・・・・・ごめんである。ちと内容が硬かった。

「万葉集」の歌にあるのが「真赭」の色と思いと知りました。
若かりし頃、恋すれど想いを口に出来なくても、想い人を前にした時の顔の色を見れば、胸の奥にしっかりと「真の想い」が読み取れる・・・「青春の時色」なのですね。

「時色」・・・「朱色」・・どちらも、「ときいろ」と読みます。・・・・これって、「ときめき」の色だ!!!
後半のこんな文章を書いていたら、「ドキドキ」してしまったである。だはは・・・である。
じゃあ、またね。・・である。
2008/11/11 00:03  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
- ふぁにょんさんへ -
ご訪問、ありがとう。・・・である。

ご主人は・・・宇宙人?・・・・で、大工さん。・・・・気になる。

なにやら、どこかで聞いた誰かの話・・・・のような。

たしか、イエス・キリストの父君・ヨセフさんの仕事は「大工さん」でしたな。
最近、巷では「宇宙人=神様」などと騒いでいる輩がいるらしいけど、
まあ・・・・・私としてはどちらも会ったこともないので、・・・なんともであるな。

あれれ、私は「ご主人」に会ったことがない・・・。

ってことは、今のところ「ご主人」は、やはり「宇宙人」であるな。
「宇宙人=ご主人・・・主(あるじ)=なんと!!神様」で、あるな。

働き者の「ご主人」は、家族に対して「忠義」の男。
やはり、ふぁにょんさんのご主人は「有忠人・うちゅうじん」である。・・と、私は思う。
(言い切りである。)

むむっ、その「ご主人」の正体を見破れる「ふぁにょん」とは・・・・いったい何者?

だはは・・・。           ちなみに私も、前職では「大工さん」とも呼ばれていた。    

じゃあ、またね。である。  おやすみなさい。
2008/11/11 01:07  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
- ご訪問、ありがとうございます。 -
コメント拝見させていただきました。
いろいろなご意見、ありがとうございます^^

なんでも思ってることを正直に言える関係。
とても理想的な夫婦ですね。

昔は、そのような夫婦になるのが理想でしたが、現実はそうもいきません。
とても強い信頼関係があってのことなんでしょう。

しかし、全部隠し事を言って、このような関係になれるとは限りません。
ましてや、なんでも思っていることを正直に言うなんて、時には人を傷つけることにもなりかねません。
たまには、うそもつくことも必要だと考えています。

また、滅多に子供を預けない育児を主にしている母親であるのなら、誰に預けても「大丈夫?」「大丈夫だった?」と心配するのは、母親であるからじゃないでしょうか?
相手に不信感と考えるより、子供を心配するがゆえにでる自然の言葉なんですよ。
いわゆる母性でしょうか・・
預けるのに慣れればまた違うとは思いますが・・

不公平・・と言ったのは、奥深く意味があるもので、今の日本では、まだまだです。
社会や教育・・
いろんなことにかけているのです。

とても固い話になりましたね。
このような話は嫌いじゃないですが、ブログは日記として面白可笑しく書くようにしてるんです。もちろん、いろんな意味を込めてますが(笑

ただいえるは、人は十人十色です。
夫婦も夫婦しかわからないことがたくさんあるのです。
また、女は男を理解できないこともあるし、男は女を理解できないことがたくさんあります。
そして、母親は母親しかわからないこともたくさんあるのです。

否定的なことばかり言って気を悪くさせたらごめんなさい<m(__)m>永山さんの意見は参考にしたいと思っています。
また、いろんなご意見よろしくお願いしますね^^

2008/11/15 01:55  | URL | あくび@ #-[ 編集] ▲ top
- あくびさんへ -
いやはや、うれしい速さに「びっくり」です。     早速のコメントありがとう。・・・である。
安心してください。私はゼンゼン気など悪くはしていませんよ。
「理想的な夫婦」ですか・・・ありがとうである。
私たち夫婦は、なにも始めから「出来た」わけではありませんでした。
どちらかと言えば、私がひたすら「自分を偽りつづけた」ことにより、妻にも「本心」を言わず、そのことでかえって結婚初日から一年半の間、三日に一度のトラブルを招いたのでした。
私も妻も「忍耐」の日々でした。私たち程の「厳しさ」を私はしりません。
原因は、私か妻に「勝手」に気を使いすぎ・・・と言うよりは、私の抱いていた妻への「気づかい」は、これを言っては妻から「離婚」を告げられると、私が「勝手」に妻に対して「不信感」を、抱いたからでした。
私が変われたのは、妻からの「何を言われても大丈夫」の言葉と、私が好きになり選んだ相手を信じる「自分を信じた」ことで、私に「本当の自信」が出来たのです。
正直ね恐かったんだ。でもね。やってみたら・・・「なーんだ」ってなって・・・にっこり、嬉し涙でした。私はね。
要は、互いが「相手を信じている」・・自分を「信じる」ことが出来れば「簡単な話」でした。
「自信」とは、自分を信じることだってことは、誰だって知っていますよね。
世間では、よく「私は自信がない」なんて言われる方がいますが、「自信がない」と言いきっている「自分だけは信じている」ってことは・・・あれれ?なんだ「自信」あるじゃん。へんなの?
ねぇ、あくびさん、永山拓美って・・・へん?
話を戻しますね。あくびさんに、私たちが「理想的」って思われるようになったのは、今年になって京都で活動を始めた「TLC匠」のメンバーによるものでした。
私たちは夫婦に限らず、どのメンバー同士であっても「はっきり」ものを言い合える関係にあります。このことは、すでに私たちの周りに広がり始めています。
もし、あくびさんが、「理想」を求めるのであれば、私たちは喜んでサポートしますよ。
いつでも・・・ね。
「傷ついた」と思ったのも、私が「勝手」に創りあげたもので、よくよく考えてみたら、「心の傷」なんて一度も見たことないし、「傷つけられた」って言っている人の「傷だらけの心」なんて、「傷が何箇所あります」って、はっきり目の前に見せてもらったことなど、一度たりともないことに気づいたのです。「うそ」だとね。

「今の日本では、まだまだ・・・」って、誰も「理想」を望むのに「何故か」自分から始めない。国のせいにしている間は、誰もが自分はずしの他人せいにしてさ、待ってても「しょうがない」からって言うより、自分のことだから始めたんです。そしたら「出来た」・・・私たちはね。
じゃあ、またね。である。 私がTLC匠の代表です。
2008/11/15 06:45  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
-  -
TLC匠って宗教なんでしょうか?
HP拝見しましたが、よくわかりませんでした。
2008/11/15 16:42  | URL | #-[ 編集] ▲ top
- こんばんは^^ -
早起きですね。
私は反対に、夜中が私の時間なのでいつもこんな時間になってしまいます。

永山さんってへんですね(^u^)
奥深いところもあれば、浅いところもあって、実に面白いです。
要は、互いが「相手を信じている」・・自分を「信じる」ことが出来れば「簡単な話」でした。
まさにそうですね!
その簡単が難しいんですよ^^
その簡単ができれば、離婚率もぐっと下がることでしょうね!
では、質問ですが、相手が裏切り続ける人であるのなら、どう信じればいいのでしょ?

「傷ついた」と思ったのも、私が「勝手」に創りあげたもので、よくよく考えてみたら、「心の傷」なんて一度も見たことないし、「傷つけられた」って言っている人の「傷だらけの心」なんて、「傷が何箇所あります」って、はっきり目の前に見せてもらったことなど、一度たりともないことに気づいたのです。「うそ」だとね。

「心の傷」とは言葉の表現であって、「うそ」などではありませんよ。たとえば、裏切られて、悲しい思いをした・・「心の傷」なんです。
浮気されて、涙を流す「心の傷」なんです。
「心の傷」は見えなくとも、行動や表現でみることができるし、感じることができるのです。たぶんね。

「今の日本では、まだまだ・・・」って、誰も「理想」を望むのに「何故か」自分から始めない。国のせいにしている間は、誰もが自分はずしの他人せいにしてさ、待ってても「しょうがない」からって言うより、自分のことだから始めたんです。そしたら「出来た」・・・私たちはね。

言葉ってむずがしいですね・・
「今の日本は、」は、日本が悪いわけじゃありません。
今までの歴史という時間の積み重ねを変えるには、まだまだという意味になります。
極端に言うと、たばこを吸っている人の肺の黒さは、止めたからからってすぐにはきれいにならないってことですね・・(例えが極端ですが(笑)
なんにせよ、時間が必要だと思います。

私が思うに・・
永山さんが言う「理想」は、「完璧」に近いですね。
だから、私が永山さんがへんだと思うのかな?
2008/11/16 03:02  | URL | あくび@ #-[ 編集] ▲ top
- あくびさんへ -
こんばんは。あくびさん。
ご返事が遅くなってごめんなさい。

質問の、相手が裏切り続ける人であるのなら、どう信じればいいのでしょ?とのことですね。
まず、たとえば・・・で始まっていることなので、あなたの事なのか、あるいはあなたの親しい知人の事なのかは、私には判りかねますが、ご質問に対し私なりにお答えしたいと思います。

どちらにしても、当人にとってはお苦しみのことでしょう。
「どう信じればいいの」っていうことは「信じたい」と思われている状態なのですか?
だとすると、当人が望みを叶えるには、「信じる、信じつづける」ことだと私は思うのです。

「信じたい」と思われている状態が続く間は、また裏切られるかも・・・という「不安」から、すでに「疑い続けている状態」ですよね。なぜ、思いと反対の「したくない事」を、しているのでしょう。

相手の裏切り・浮気という出来事に、相手の事を考えていたはずなのに、いつのまにか自分が「したくない事」をしているから、いつまでも「苦しく」なっているのです。

当人が「別れたくない・失いたくない」ならば、相手を許してしまう自分を「許す」しかありません。
やはり、「許せない」のであれば、当人は相手を「許す」自分を「許せない」のです。

始まりは、相手の事でしたが、結局は「自分のこと」なのです。

              自分は「どうしたいのか」それだけです。

              それは、相手も同じ事です。
もし、いくら「許して欲しい」とお願いされたところで、当人が「許せない」と思っている以上、そのままでは、かたちばかりの関係が続くだけです。
そして相手は許してもらえない」苦しみから当人から「逃げよう」とします。
どうみても、当人の望まない結果ですね。「じゃあ、どうしたらいいの?」「どうするの?」

当人に出来る事は、「信じる」「信じない」どちらかの「自分の選択」だけです。
相手の選択は、相手にしかできないのです。

当人が相手に出来る事は「自分の正直な思い」を伝えることだけなのです。
「別れたくない」・・でも「信じられない」では・・・「苦しみ」ますよね。傷ついたと思い続けることで、いつまでも傷は治るわけもなく、傷を治すどころか益々傷を深くしていく事に「自分」でしているのです。
一日でも早く、当人の「苦しみ」がなくなる事を、私は望みます。・・・こころより。

私にも若い頃、交際相手の女性が浮気をして、とても辛く悲しい思いに苦しみ続けた日々がありました。まあ、二股をかけられた期間があったわけです。それでも私は彼女のことを愛していました。
私は正直、彼女と別れたくなどなかった。
でも、私は彼女に「どっちにするのか」と、選択をせまり、そして彼女は私から去りました。
暫くの間、私は毎晩のように「悔やみ・悲しみ」泣きつづけました。また、苦しみました。
私は「はっきりしない態度」の彼女を「許す」自分を「許せなかった」のです。
その後、私は彼女のことを、「許しました」が、彼女は戻りませんでした。

私はいまでも、彼女のことは「好き」ですが、遠くで暮らす「友人」です。
彼女からの「彼と結婚した」との連絡に、「そうか、おめでとう」と、私は答えました。
彼女は「ありがとう。拓美さんは、そう言ってくれると思っていた」と、答えました。
そのとき、私は「自分の行動は正しかった」と、思いました。
私は今でも、彼女の「しあわせ」を思っています。

たしかに、かつては悲しいこと、辛いことがあって「苦しい時」の感情を「心の傷」と、表現していましたね。・・・私もね。

ところで、なぜ相手は「浮気」をするの?なぜ、「別れられない?」・・・なぜ?
結婚は婚姻という契約ですね。・・・保険・・・お金、安定、社会に対しての対面・・・・。
因みに法律上、離婚しても、婚姻しなくても仲良く暮らす「ご夫婦」たちを、私は知っています。
私と同様、彼らも「へん?」(私は結婚しています)
じゃあ、またね。(私は早起きではありません。徹夜なのだ。)である。
2008/11/20 07:22  | URL | 永山拓美 #-[ 編集] ▲ top
- こんばんは^^ -
徹夜とは、すごいですね。
昔、若いころに徹夜をしても平気だったはずなのが、最近は、回復するのに2日もかかるようになりました。
主婦といえども毎日の仕事があるので回復に2日はこたえます。

さて、本題ですが、

当人が「別れたくない・失いたくない」ならば、相手を許してしまう自分を「許す」しかありません。
やはり、「許せない」のであれば、当人は相手を「許す」自分を「許せない」のです。
始まりは、相手の事でしたが、結局は「自分のこと」なのです。自分は「どうしたいのか」それだけです。

まさにそのとおりですね。

互いが「相手を信じている」・・自分を「信じる」ことが出来れば「簡単な話」でした。

その「簡単な話」が難しいんです。
きっと世の中の信じれない人々はそれができないんだと思います。私が知りたかったのは、自分を信じる、許す心の方法。
「自分を信じれば、許せる心があれば」を知ったところで自分を自分の気持ちをコントロールできる人の方が少ないように思えます。
そうできたとしてもきっと時間がかかるでしょう。

因みに法律上、離婚しても、婚姻しなくても仲良く暮らす「ご夫婦」たちを、私は知っています。

私も知ってます。
当の私もその一人ですから。
しかし、子供がいるとそれも自由がきかなくなります。
いろんな問題が発生するのです。

永山さんがおっしゃることはどれも正しいです。
しかし、理想論とも思えます。
人には皆、状況や現実があることをわかっていただきたい。

この世の中に自分という人間が、二人といないでしょう?考えてることも行動も違うことだらけなんです。
ただ相手がいることに対しては、ケースバイケース、ステップバイステップで対応していかなければならないのです。
一つの型にはめることなどできないのです。

またまた否定的ですね~
気を悪くなさらないと思い、書いてます^m^
2008/11/21 00:44  | URL | あくび@ #-[ 編集] ▲ top
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