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火祭りのいいつたえ・1「大文字の扉」
2008/10/16(Thu)
京都の街は、早くから「大学の街」と呼ばれている。
京都市内だけでも、短大を含む大学の数は36校にものぼる。「学生の街」である。

9月も半ばを過ぎたある日のことである。
正直なところ9月に入ってからの私は、日々のスケジュールの中で少し焦りを覚えていた。

私には、頭の中から離れないことがあった。
それは、京都の東・京都造形芸術大学では、大学1年の若者たちがすでに「ねぶた」造りを
始めているからだった。
そしてこの日、私はようやく大学と「アポ」を執り、彼らのもとへ自転車を走らせたのである。
          
         
           「ねぶたを造る若者たちに会いたい」



この話の始まりは今年の8月、京都・「大文字五山送り火の夜」にあった。

       その夜から、「火祭りの扉」が開き始めたのである。


私は、今年の6月から仕事仲間と共に、京都市内で街頭活動の「聞く屋」を始めた。
「聞く屋」は、街行く人たちに「何でもいいです。何でも聞きます。」のスタンスで、
中・高生から高齢者までの様々な方と、自慢話から悩み事まで「聞く」仕事である。

          ただし、お代は「お気持ち」である。

今では烏丸北大路にて、仕事帰りの人たちの目を集めるほどになり、幾度となく足を運ぶ人たちも
現れている。

その「聞く屋」での出会いが元で8月上旬の夜、鞍馬口にお住まいの高城さん母娘から、
ご自宅へのお誘いを受けた。

   「五山送り火の夜、自宅の屋上から大文字・妙・法・舟形の四つが見えるんですぅ」

   「今年は娘のお友達の方が、大文字をバックに舞いをされるんですが、
             何かの御縁かもしれませんし、ご都合がよろしかったら、きませんか」


       ふたりからの笑顔の申し出が、私は素直にうれしかった。

       そして、「よろこんで、伺います」と、私と妻は笑顔で答えた。


当日は、午後から何度かの雨が降り「五山送り火」が危ぶまれたが、
なんとか夕刻からは雨もあがり、私はスイカを片手に妻とふたり、出掛けることにした。
紫明の自宅の裏手にあたる鞍馬口通りは、まだしっかりと路面の窪みに水溜りを残していて、
私は怪しく雨雲を残した夜空を時折見上げ、「降るなよ」と、念じたのだった。

京都の中心を南北に伸びる烏丸通りを渡ると、東の「大文字焼き」を見ようと、
賀茂川の河川敷へ向かう浴衣姿の若者や家族連れの、先を急ぐ下駄の音が賑わい出した。

      「拓ちゃん、スイカ落とさないでね」

      「うん」  私はすぐさまスイカの下に、左手を添えたのだった。

      私も、右手に食い込むビニール紐のビミョウな感触に、気づいていた。
      妻は、そのへんの事は見逃さないのである。流石である。


高城さん宅に着くと、3階建ての外階段から会場である屋上へと案内を受けた。

このイベントは、「Daimonji~ 精霊たちの送り舞~」と題されていた。
「舞い手」は、渡守希・ともりのぞみ氏である。


会場の南東角の床には2間四方程の敷物があり、その奥角にはすでに、
ひとりの白装束の女性が椅子に座り、薄明かりの中で静かに「その時」を待っていた。

先客たちは、舞台とは少し間を空けてフェンス際に設けられた敷物に座っていた。

私は、横並びの観客たちの真ん中の席に座る形になった。
その席は、「舞」を始めようとする彼女の、ちょうど真正面の位置だった。

「舞」が始まった。

真東の山に一点の火の手が上がり、それは五つの方向に広がり、
やがてはっきりとした「大」の字を現わした。「舞」は、15分程のものだった。
「舞」の意味は解らずとも、彼女の足裁きと要所要所に魅せる「技のキレ」は、見ごたえのあるものだった。

舞台のスペースがもう少し広く取れれば、彼女はもっと伸びやかに舞うことが出来ただろうと、私は思った。

「舞」が終わり、観客たちの拍手のあとは、会場は四つの送り火を眺める時間となった。

     
     通称・「大文字焼き」と呼ばれる「大文字五山送り火」は、
     「大文字」・「妙・法」「舟形」「左大文字」・「鳥居形」が、五つの山に浮かび上がるので五山だが、
     数えると妙と法が分かれるので、六つ見えることになっているのだ。

私と妻は、一通り送り火を眺めると、一番目に見た「大文字」を燃え終わるまで眺めていた。

しばらくすると、「五山送り火」はお開きの時をむかえ、観客たちも帰り支度となった。
階下の鞍馬口通りからは、早くも家路に向かう人の声と下駄の音が聞こえ始めていた。

私の目の前には、「舞」を終えて頭の被りをとった渡守希さんが立っていた。

     私の中に、彼女の舞台スペースを目いっぱいに使いきった
     「舞」の労にふれたいという思いが、込み上げてきた。

なのに私は、ちょっとだけ躊躇した。「でもな、初対面なのに・・・・・」ってね。
私は、すぐさま自分に問うた。
             
             「おい、お前本当はどうしたいんだ」
             「で、お前どうすんだ」・・・・・・・・・ってね。

思い切って「おつかれさまでした」と声を掛けた。
そして、自分の思っていたことを彼女に伝えたのである。。

すると彼女は、にこやかに応えてくれたのである。

    「ええ、そうですね。でも、客席のスペースもあったから、どうしても舞台のスペースは
     これがギリギリだったんです。」
    「私としても、かなりきびしい条件のなかでの舞いでしたね。」

    
私は、改めて彼女に自己紹介をした。
会場の高城さんとの出会いの事に始まり、その御縁でこの夜、高城邸に来たこと。
永い東京時代に舞台やイベントにて美術としての経歴があったことである。


実際、舞台の裏方の役目は、「見てくれ」の美術効果だけでなく、様々な条件において如何に演じる側に、   出来る限りいい条件のなかで、演じられる時を提供できるかである。
それが、お金を払った観客たちへの満足へと繋がるのである。

私は、これまでバレエ、日本舞踊、ジャズダンス、民族舞踊など様々な踊りを、仕事を通して観て来たが、
「神さま事」の舞いを見たのは今回が初めてであった事を付け加えた。


私は、舞台の手前のL型二辺の床に置いてあった照明に興味を持った。

     「この照明器具って、何で出来ているんですか?光源は何をつかってますぅ?」
     「あと、この灯りの見える一面だけに張ってあるフィルターって何を使ってるんですか?」
     「あっ、私ね。21・2歳の頃に一年半くらい舞台照明の仕事をしていた事があるもので」

彼女は、にこにこしながら、私の質問に答え始めた。

     「これってね。外の箱のところは、缶ジュースのダンボール箱なんですよ。」
     「中の電気はふつうの電球でぇ。フィルターのところは和紙なんです。」
     「あっ、これを作ったのは彼なんです。ねぇ、黒田君ちょっと」

彼女の呼びかけに、裏方の匂いを感じる若者が来た。

今度は、黒田さんが加わり、3人の会話が始まったのだ。
     
     「おつかれさまでした。」
     「うまいこと作りましたねぇ。」
     「えっ、箱の黒いところって黒のガムテープだったんだ。暗くてぜんぜん判らなかった」

     「間に合わせで作ったにしては、なかなか・・・でしょ。」

彼の話によると、照明器具だけでなく、舞台スペースと客席スペースの敷物も
当日になってすべて彼が用意したとの事だった。

     「いやぁ、今日になってから全部そろえるなんて」
     「やりますねぇ」
     
     私は、すぐに彼のことを気に入ってしまったのである。

私にとって3人での会話は、ますます楽しくなってきた。

私は、彼の作った照明器具について、私が感じたことを話始めた。

     「時間がない中で、さくっとコレを作れるのはすばらしいですね」
     「コレって、一面だけ和紙をフィルターにして、やわらかい灯りに、したんですよね。」
     「会場も、今回は一般のお宅だし、ふつうの電球だったら、電気容量も問題ないし・・・」
     「私、思うんですが、もしですね。」
     「もし、もっと製作時間もあって、電気が使えない所で照明をやるときには、
      光源をローソクにすればいいですよ」
     「もちろん外側は燃えないものを使って、ちゃんと通気と熱逃げの事も考えれば・・・」
     「ローソクの炎って、ゆらゆら揺れたときの加減が、なんともいい感じで、
      今回のような作品の公演をまたやるときに、幻想的な舞台の照明効果として、
      いい感じが出せると、私は思うんですよ」

私のローソク行燈の話を聞きながら、渡守さんはニコニコして頷いていた。

     「わー。ローソクを使った照明の舞台。やってみたい」

     笑顔の彼女は、すでに先々の舞台のイメージを膨らませているようであった。


             「和紙」と「ローソク」といえば・・・・・あれである。

私の場合、この組み合わせは「ねぷた」に繋がるのである。

私の話は、弘前ねぷた団体・「必殺ねぷた人」での体験ばなしになる。

     「実は私、20年近くの間、青森県弘前市のねぷた団体に参加していたんです。」
     「団体の名前は、必殺ねぷた人って言うんですけどね」


私の口から飛び出した「ねぷた」の響きは、目の前のふたりの表情に変化をあたえた。
ふたりは、瞬時に目を合わせると、離れた観客たちの中へ声をかけた。

                  「その時」

私はあきらかに3人の会話が、新たな展開を迎えるのを感じていたのである。


この先は、次回へ・・・・・つづく。である。
                                            



「追記」

1・「聞く屋」
本文に記載のTLC匠の街頭活動「聞く屋」に関する情報は、
TLC匠のホームページをご覧下さい。

実際にどんな話の展開になるかは、人それぞれ違うので、知りたい方はまずご自分で
確かめてください。
だって、あなたの事を、あなた以上に正確に語れる人はいないのだから。
お試しあれ。


2・「大文字」
「大」の字は、「舞い手」を務めた彼女自身であり、パンフレットにあった「人生の扉」
「こころの扉」を開いたかたちなのだと、私は思う。

「大」の字は、20代から30代中ごろまでの、私が好んだ昼寝の姿でもあった。
あえて今の私に、のびのびとした時はいらない。



3・ブログを書いて

人と人の出会いは、私が多くの「旅」で学んだことである。
私にとって、「聞く屋」はもちろんTLC匠の活動すべてが「旅」そのものである。

高城さんとの出会いが、渡守さん黒田さんらへと、そして・・・・・。


渡守さんとの会話の始まりは、「躊躇・でも」をあの時思い切って突破したことに尽きる。


あとは会話のなかで、私を自らのこれまでの体験がバックアップをしてくれたのである。

「自分が思ったことを、素直にやる」  これが本当の生き方のための「必須」なのだ


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