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高瀬川に「誠」の風が吹く
2008/09/13(Sat)
京都は、歴史の街である。
1200年の都と言われるだけに、様々な時代において、映画やドラマ、時代小説の題材には事欠かない。     (いささか、持て余している感も、あるが・・・)

久しぶりに昼過ぎまで、のんびりした時を過ごしていたら、妻の口から、嬉しい言葉が聞こえてきた。

     「ねぇ、ホルモンでも食べに行かない?」

今年の2月中旬に、京都に移り住んでから、ホルモンの焼肉屋に行くのは、初めてである。           東京暮らしの頃は月に一度、妻と二人して亀戸駅北口にある”亀戸ホルモン”へ行き、
なんとも旨い肉を、たらふく食べるのが楽しみだったのである。
     
     「いいねぇ。うん、行こう行こう」

     この時私は、既に自分の顔が緩んでいるのがわかった。デヘデヘの、ごきげんである。

鞍馬口駅から地下鉄に乗り、京都市役所前駅に出た。
目指すは、ホルモン焼肉の人気店”アジェ”である。

私は、見覚えのある高瀬川に沿った桜並木の道を歩きながら、二つの季節を思い出していた。
雪の舞う中を、なかなか決まらない部屋を探して歩いた冬。
満開の桜の中を、開業に向けて買い物に走り回っていた春。
暑さの残る夏の”この道”を、扇子を片手にパタパタしながら歩く、
せめてもの救いは、桜並木の下に見える川の流れだった。

思えば、”この道”をこんなにものんびりと歩き、風情のある町並みを、眺めたことは、初めてだった。
暫く歩くと、なにやら歴史の匂いがぷんぷんしてきた。

     私は、この感覚が好きである。

三条から四条を抜け、五条まで続く高瀬川沿いの、この細い道の名は、”木屋町通り”だった。
ポッケの地図を見ると、いくつもの見覚えのある地名が目についた。
河原町、木屋町、先斗町、左手の鴨川を渡れば祇園の字がある。

     私は思い出した。

あの幕末の時代、新撰組の近藤勇たちが池田屋襲撃の際、走り抜けた道が、
まさしくこの木屋町通りである。
幕末と言っても、ほんの140年程前の事である。

     だんだら染めの羽織を身にまとい、彼らが駆け回った熱い息づかいが、            
     まだ、そこらじゅうに残っているのを覚えた。

新撰組といえば、
私の好きな時代小説の中に、浅田次郎の「壬生義士伝」(2000年刊行)がある。
新撰組にいた、盛岡・南部藩士 “吉村貫一朗”の物語である。
映画では、「壬生義士伝」のタイトルで、中井貴一が演じ、
テレビドラマでは、「新撰組でいちばん強かった男」のタイトルで、渡辺 健が演じていた。

主人公、吉村貫一朗は南部藩において、ずば抜けて文武に優れた侍だった。
人並み以上の努力の結果、藩校では教鞭を執り、剣術では北辰一刀流の免許皆伝の腕前で、         藩道場の代指南を務めていた。
しかし、彼の身分は足軽同心といって余りにも低く、いざ戦となった時には雑兵扱いであった。
実務上は肩書きも有、仕事は出来ても、給料は安いまま据え置きで、職能給は付かないような扱いを、   受けていたのだった。
彼の身分では、いかに能力があろうとも、当時の厳しい身分制度の武家社会の中での
立身出世は、絶望的だった。
いくら努力しても報われないという、なんとも不幸な境遇だったである。

そんな彼に、不運が追い討ちをかける。
東北地方特有の「やませ」が、数年におよび吹いたのだ。
「やませ」による冷害は、米をはじめとする農作物の凶作をもたらし大飢饉となったのだ。
彼の時代、藩士たちの給料は”米”である。
藩は米の現物支給が出来なくなり、札を家来たちに渡し、石高のある家臣たちは、
米屋で札と引き換えに、割り引いた米を買い求め、なんとか飢えを凌げる。
しかし、もともと禄の低い彼には、身ごもった妻と二人の子供らを、
飢えから守るため恥を忍んで、上役に物乞いをするしかなかった。

     彼に、愛する家族を飢えから守るのは、もう限界だったのである。

そして彼は、雪の降るまだ暗い朝、愛する家族を盛岡に残し、「脱藩」したのだ。
この時代、「脱藩」は禄をもらう家来として契約違反であり、重罪だった。
彼自身その事が、文武において藩内の武家の子供らの上に立ち、教えを執っていた者として、
いかに恥ずべき行為であるかを、誰よりも判っていた。

藩内には、彼と同じ苦しさを持つ身分の者は、もちろん他にも沢山いた。
ただ彼には、ずば抜けた剣術の腕があった。

彼は、京にのぼり新撰組に入隊し、倒幕の浪士たちを斬り続け、
それで得た稼ぎをすべて家族に送り続けたのである。
彼の金へのあまりの執着に、仲間の隊士たちは呆れ、彼を「守銭奴」とさえ、呼んだのだ。

     彼にしてみれば、愛する者たちの命を、なんとしても繋ぎたい、その一心だったのである。

自分にとって、なんとしてでも守りたいもの、誰に何を言われようともゆずれないもの。
そのために自分が出来る事を考え続け、そして精いっぱい実行したのである。
たとえそれが、ルールを破る行為だとわかっていても。で、ある。

     それが、「誠」であり、「真(マコト)」なのだと、私は思う。

さて、主人公・吉村貫一郎の最期だが、鳥羽・伏見の戦いに敗れた彼は、
雪降る中、ぼろぼろの戦傷の状態で、大阪の南部藩・蔵屋敷に転がり込み、
帰藩を願い出たが断られ、切腹を言い渡され果てたのである。

     彼は、死をもって自分のしたことの「責任」を執ったのである。



ところで、

私は、かつて仕事において常識はずれの”とんでもない”ルール違反を、したことがある。

それは私が33歳の夏の事だった。(14年前の夏)
私は、勤めていた会社が倒産したのち、イベント美術のフリーとして、幾つかの会社の仕事を渡り歩いていた。
その年も、バブル崩壊による「冷たい景気の風」は吹き続け、
イベントの減少と企業の大幅な広告費の削減は、私のクライアントを悩ませ、
おのずと私の稼ぎにも、そのシワ寄せは現れていたのである。

私は年始から、8月の弘前のねぷた祭りを見据えて、仕事をしていた。
しかし、春からの売り上げは厳しく、弘前への旅費はぎりぎりだった。
7月の仕事先では何処へ行っても、すでに秋の繁忙期さえ、不安の声が囁かれていた。

そんな時、一番売り上げの多いクライアントから、8月上旬の仕事の依頼が来た。

     (なんてこった! これを受けたらねぷたに行けなくなる!! でも、仕事は欲しい。)

依頼主は、かつてサラリーマン時代の私に仕事を教えてくれた二人の先輩が、
幾人かの後輩をつれて立ち上げた会社だった。
先輩の話から、その頃だけ物件が集中して、人手が足りず困っているのが、わかった。
私は、即答ができなかった。
社長を務めるT先輩は、笑いながら云った。

     「永山ぁ、おまえ今年も弘前へ行きたいんだろう」
     「でもな、悪い事は言わねぇ。仕事はある内にしといたほうがいいぜ」

私には、この夏も”ねぷた祭りへ、行きたい”という思いがあった。
しかし、先輩たちには永年の恩義もある。先々の売り上げの不安もある。
しかも、一番売り上げの多いクライアントでもある。

      (どうする・・・・・・・・・・ちくしょう!!)

私は迷った挙句、仕事を請ける返事をした。

      「ああ、俺の今年の夏が消えたな」と、私は、心の中でつぶやいた。


8月に入り、請けた仕事の1日目を終えた時の事だった。

私は、工場(こうば)の外に出ると、夕暮れの空を見上げた。
そこには私の好きな、夜に向かう蒼の色と、あかねいろに染まる雲が広がっていた。
そのまま、ほんの少し視線を移すと、私の傍らから通りに傾いた柿の木の黒い葉の色が空の色と重なった。

     「あの色だ。」
     
私は、一年前に見たその色使いを思い出していた。

     私は、ねぷた運行前の夕暮れ時、弘前城の堀割を飾る葉桜の下で、
     ビールを片手にうまい胡瓜のからし漬けを頬張り、出番を待っていた。

     気の早い子供らが、笛と太鼓のねぷた囃子を始める。
     腕自慢の手振り鉦(がね)を鳴らす男が、ここぞとばかり気合をいれると、
     子供らに負けじと若い男が、熱く気の入った太鼓の音を鳴り響かせる。
    
     私は、そんな”ねぷた囃子”を聞きながら、葉桜を見上げた。
     私をジッと見下ろす黒い桜の葉たちを、時折吹く堀風が微かに揺らし始める。
     黒い桜の葉のむこうには、夜に向かう蒼の色と、次第に黒味を増してゆく
     あかねいろの雲が広がっていた。

     その色使いの美しさは、
     ねぷた祭りの余韻をその年の暮れまで味わいながらも、年明けを待たずに、
     次のねぷた祭りに向けて、ひたすら頑張り続けた私へのご褒美にさえ、思えるものだった。

          (ああ、俺は今年もこの弘前に来て、この色を見ることができた。)

     込み上げる思いに、仰ぎ見た黒い桜の葉と目を合わし、涙が出るのを私は拒まなかった。


     
「もう今頃弘前じゃあ、”ねぷた”が始まってんのか」

視線を工場街の細く伸びた道路に下ろすと、遠くに夕闇の中で遊ぶ子供の影が見えた。
夕闇の中に吸い込まれていく私の耳に、笛と太鼓のねぷた囃子が、よみがえる。
次第に濃くなる夕闇の奥から、少女の影と共に声が聞こえる。

          「ジャッキーさ、来年もねぷたに来るよね」

     私は、はっとした。次の瞬間、どすんと、心の声に胸を突かれた。

          「おい、あの子との約束は、どうするんだ!!」

     
あの夜の・・・・約束。     
     一年前のねぷた祭りの夜、私は東京行きの夜行バスにのるため、
     ねぷたの運行途中に仲間たちに、別れの挨拶を終えたときの事だった。
     離れて行くねぷたと仲間たちの中から、一人の女の子が私の方へ駈け寄ってきた。 
     祭りの中で、妙に私になついた女の子だった。
     その女の子の願いを込めた笑顔は、ねぷたの灯りで輝いていた。
     女の子は、私を見上げ、ねぷた囃子に負けじと叫んだ。

          「ジャッキーさ、来年もねぷたに来るよね」

          「ああ、来年も来るよ」と、私も笑顔で返した。

     私は、女の子が仲間のもとに戻るのを、見届けると仲間たちに背を向け歩き出した。
     ふと、振り返えるとねぷたの色鮮やかな灯りを背に、私を見送る女の子の影があった。



私は、・・・・・・・思った。
     
     「このままだと、きっと俺は今年の大晦日の夜、この夏の淋しさを後悔するに違いない。」


     「おい、どうすんだ!」・・・・・再び、私の心の声がした。

     (そうだ!! 弘前へ行こう!! あの子が待ってる弘前に行かなきゃ)

私は、背中を押されるように、浜松町の国際貿易センタービルへ車を走らせた。

翌日、私は2日目の仕事を終えると、事務所へ行った。
   
     「すみません、俺、今夜の夜行バスで弘前へ行きます。」

事務所内の驚きの視線が私に向けられた。

     「おい、何言ってんだ!」
     「今度の現場が終わるまで、うちの仕事を頼んでいるだろう」 

     「確かに、これがどんなに悪い事なのかは、俺も判っています。」
     「本当にすみません。でも、もうバスのきっぷ買っちゃったんだ」

私は、言葉が終わる前に右手を差し出していた。
指先には、シャツのポッケから取り出した、弘前行きのきっぷがあった。
「お前なぁ」の、言葉と共に怒りの視線と、社員たちの”あきれ”の視線が来た。

      「土曜日の、積み込みの朝には必ず戻ります」

私は言い終えると、事務所にいる全員に向けて、頭を下げた。

私は、事務所のドアを閉め、暗い階段を降りながら
「これで、いいんだ!」と、自分に何度も言い聞かせていた。


私は、弘前の女の子との約束を果たし、少しだけ大きくなった彼女を見た。
楽しい時は、あっという間に過ぎ、別れのときは、一年前の再現と、なった。


私は、東京に戻ったその足で工場へ行った。
当然の事ながら、私に向けられた周囲からの視線は厳しかった。

予定されていた数日間の現場の後、私はそのまま工場での追加の仕事をすることになった。

私の弘前行きの一件以来、会社の険しい空気は続いた。
私の抜けた”しわ寄せ”は、その間の社員たちの残業疲れに現れていた。

私には、先輩たちに順ずる仕事の腕があり、この道12年の経験から
その戦力的評価は社内でも皆の知る所であった。(で、なければフリーなど・・である。)
だから、現場の後も新たに数日間の仕事が来たのだ。

しかし、私のとった行動は、誰にとっても”おもしろくない!!”もので、
その思いは彼らの表情に、はっきりと表れていた。

私は、追加の仕事の初日を終えた後、事務所へ行き、思いを口にした。

     「どうして、俺に対して”おもしろくねぇ”って、みんな言わないんですか」

   T 「なんだ、永山お前判っていたんか」

     「そりゃあ判りますよ。だって俺が、みんなの立場だったら、間違いなくそうだもの」
     「お前みたいなヤツとは、仕事したくないってね」
     「どう考えたって、そんな気持ちのままで仕事をしても、お互い良くないもの」

   T 「そうか、わかった。じゃあ、永山。今、お前に頼んでいる仕事までって事でいいんだな」

     「はい。だって俺は、皆さんに対してそれだけの事を、したんですから」

     私にとって、今回の弘前行きは覚悟の上だった。

社長のT先輩の表情には、何かサッパリしたものがあった。

私が追加の仕事を終える日の、昼下がりのことである。
ナンバー2のM先輩が、私に向けて云った。

     「永山ぁ、お前な、この世の中そんなに甘くはないんだよ」

それは、私の生き方では、この世の中ではまともに生きて行けないと、言っているのだ。
私は答えた。

     「そうかもしれない。でも、命までは取りはしない。でしょ」

M先輩は、言葉を失っていたのだった。

仕事を終えた私は、事務所に行き、「皆さん、お世話になりました。」と、一礼をした。

「おう」と、一言だけM先輩の昔ながらの笑顔があった。
事務所の奥にいた社員たちからは、苦笑いが見えた。

私は社長のT先輩に目をやった。
パソコンに向かう彼は、右手で"じゃあな"という意味の返礼をしてくれた。

     私には、それだけで十分だった。

     そして、「これで、いいのだ」と思った。


     互いが、自分良しの思いを隠し、偽りの常識を口にしては、支配の力を使う世の中である。

     どんな世界でも、その世界のルールに叛くときは、何人もその責任から逃れられない。

     その「覚悟」を持ったものだけが、「真のマコト」を持てるのだと、私は思う。




ホルモン焼肉の「アジェ」は、評判通りのうまい店で、なかでも、白い脂身のホソは実に美味かった。
ただ、・・・・・ホッピーと生グレープフルーツサワーが欲しかった。

ホルモンと酒で腹を満たした私と妻は、木屋町通りをのんびり北へ向かって歩いた。

川の対岸に並ぶ店の灯りは、川面を煌々と照らし、小さなうねりがキラキラと光を放っていた。

四条大橋の手前まで来ると、川沿いの桜の木の袂に、煙草を吸っている男たちが見えた。
妻は、ミニストップで手に入れた、マンゴーパフェを嬉しそうに頬張りながら

     「ねぇ、煙草吸ってこうか」

     「うん、そだね。」と、私は答えた。

備え付けの吸殻入れに近づくと、先客の男がふたり席を発った。

私は、煙草を燻らしながら、煙のたなびきに風の流れを目で追った。

木屋町通りに、かぶるように伸びた桜の枝を目でたどると、
高瀬川に沿うように流れる川風が、桜の葉をひろげた枝先をやさしく揺らし始めていた。


追記 11月27日
私は、肝心な事を書いていない。

私はこのときの「掟破り」のあと、私の自分勝手な行動の「尻拭い」をさせられた方たちの
ことを思った。「本当に迷惑を掛けてしまった」と。

翌年からの私は、周囲に対して「あらかじめ」意思表示をしておくように行動を改めた。
それは、やはりお互いのためである。

私の「弘前への思い」を、一旦は誤魔化そうとしたが、結局は誤魔化し切れなかった。

要は、「あたりまえ」の事が出来ていなかったのである。


「 追記 」  9月13日 

仕事で、ルール違反をした件の、後日談である。
その後、私の仕事は新たなクライアントへの展開を続け、フリーとしての活動も
続いたのだった。
それから、2年以上の月日が過ぎたある日、そのときの社長を務めるT先輩から
仕事の依頼が来た。
「おぅ永山、元気か? また、仕事を頼んでいいか?」
「もちろんです。それに、その日でしたらOKですよ」

この時、私はあの時の「やめ方」は、間違いでは無かったと思ったのだ。
そして、先輩の有り難さを感じ、もし今後、”どうしても譲れない”思いがあるならば、
その時は、はじめから自分に本当に正直になればいいのだと思った。
仕事上、クライアントと、業者の関係に見えても、
本質的には(根っこの部分では)、対等になったのだ。      私は・・・ね。


あの約束の夜から10年後の弘前。
ねぷた祭りの夜、酒の席で私は、ついぽろりとあの女の子の母親に、
娘との思い出ばなしを口にしてしまった。

彼女は、「ジャッキーさん、うちの娘のせいで、済まない事をした」と、詫びた。
「俺が、今もこうやって、この”必殺ねぷた人”に参加出来たのは、
あなたの娘さんのお蔭なんですよ。あれが無かったら・・・。感謝しています。」

離れた若者の車座の中に、二十歳になった娘のひと際大きな笑い声があった。


あの年を過ぎても、私と、弘前の葉桜と夕暮れの空の色とのつき合いは、つづいた。
ある年の、少年との会話である。
「あれ、ジャッキーさん。しんみりした顔して、どうしたの?」

「俺さぁ、”ねぷた”に来て、葉桜越しに見るこの空の色が、楽しみなんだよ」

「へぇー、ジャッキーさんて、顔に似合わず意外とロマンチストなんだね」
「でもさ、いい色だよね」
私の、忘れられない”ねぷた祭りの色”なのである。



今回のブログ記事を書きながら、見えてきた事がある。

昔から言われ続けられている。  「旨い話には、ウラがある。」って。

まずは、お金、金儲け、
先に楽して、金儲けなんて。 欲を欠くから、騙されて・・・。いつまでも、反省もせずに大声で、被害者だと。
自分の「恥」すら見えなくなっている。自分から見なくし続けた結果なのだな。
               
     自分が創った「盲点」=「スコトーマ」って、やつだな。

     「覚悟」もせずに、「責任転嫁」・・・やれやれ。


次は、プラス思考

落ち込んだ時、プラス思考でって簡単に言っているよね。「旨いだけの話」だけに?
確かに、プラス思考に切り替えればその都度その場は楽になる。
でもね、いくらプラスにしたところで、もとのマイナスを、見なくしただけだよね。

本来の一番いい状態は、プラスもマイナスも無いゼロの状態だよね。

と、言うことは、
プラス思考ばかり続けていくと、いずれ必ず、溜め込んだマイナスを、ずっと相手にすることになる。
       
本当は、自分に起きたことを、いちばん判っているくせに、
そんな事ばかりやっちまったから、いつの間にか見えてた事も、自分で見えなくしてしまったわけだな。
                
     自分が創った「盲点」=「スコトーマ」って、やつだな。

「自分」=「現実」を認めない(受け入れない)で、「自分逃避」=「現実逃避」ばかりしていると
いずれ、見たくない「自分」=「現実」が、まとめて、どかんと必ず、やってくる。

このとき、まとめて「自分」を認め、受け入れるのは、かなりヤバそうなのは、子供でもわかる。

まあ、プラス思考は借金するようなものだから、早めに返していかないとね。「借金地獄」にならないうちに。         
この場合、「自己破産」は適用されないのでご注意を。その「覚悟」と「自己責任」を、忘れずに。
「どうして、私がこんなめに?」なんて言ったら、間違いなく、子供たちに笑われます。  念のため。


3つ目は、幸運、しあわせ、願い事

最早、やりたい放題の「旨すぎる話」・・・スキルがなくても、いいんだって?
      
石(パワーストーン)だの、リングだの、その他もろもろグッズだの、
そりゃあ、あらゆる物にエネルギーがあるから、それなりに何かと効果があってもおかしくはない。

でもね、単純に考えて海で溺れそうになって、石持ってたら泳げないし、
石の重さの分だけ、水に浮かないでしょ。
やっぱり、いざって時は、なりふり構わず手放すのかな?
      
物に頼った間に、物から奪った力・エネルギーを、望みを叶える為、すでに使ってしまったとしたら、
物を手放す瞬間、物は元の状態に戻ろうとして、持ち主からエネルギーを吸い取るのでは?と私は考える。
と、言うことは、
持ち主は、かつて持っていた力さえ、無くなって場合によっては命さえ落としかねないって話にもなるよね。
私なりの、素朴な疑問なのだが、やってる人たちって、「覚悟」したうえで、やってるのかなぁ?
      
      
なんでも近頃、神社廻りやらが大流行(おおはやり)らしい。
      
ようわからん、どんなに願い事をかけても、実際やるのはいつだって自分なのに?
      
厄払いをしてもらったとする。一回でも効くの?
何回お払いしたら、完璧に終わるのかな?
一回あたりの有効期限は、いつまでなのかな?
もし、お答え出来るのなら、その方なんで、知ってるのかな?誰に教えてもらったのかな?
      
払った厄の行き先は、どこにいくのかな?
もし、しょっちゅうお払いしているのなら、お払いの後、払ったはずの厄がまた元に、戻っちゃたってこと?
あるいは、イス取りゲームみたいに、代りばんこに、厄が、後から来た人に、取り付いているのかな?
      
あれれ、だとしたら、
そのことを知ってて商売をしている人は、ぼろい商売でお金の心配なんてないよね。
      
あれ?お払いが出来るってことは、もしかして厄を動かせるってことだよね。
するってぇと、わざと厄を掛けることも出来ちゃったりするわけ?
      
     
自分の事なのに、

今の自分に、出来ることが何か無いか・・・を、とことん考えもしないで
自分で出した考えを基に、動きもしないで、
自分の持っている力を出し切り、自分で確かめもしないで、
いとも簡単に、自分以外の力に頼り、「楽する事」ばかりに流される。
だから、自分がもともと持っている力を「見ることもないし、知る事もない。」

なんでもかんでも物の力に頼ろうだの、外の力に、頼ろうだの、  そんな「楽する事」ばかり考えているのは、
自分で自分のことを考えると「苦しい事」が見えてくるのを、
実は、知っているから、見ないようにしているのだけなのだ。(臭いものには蓋をする。って言いますよね。)

そんな事を繰り返しているから、「苦しい事」だけが残るのだ。その「覚悟」はあるのかな?
自分のことを自分で、あたりまえにやっていたなら、良かったのに。
外の力に頼らなければ、本来の自分の力を見る事が出来たのに、
気づかないうちに、自分で見えなくしてしまったのだ。

「他力本願」の乱用は、自ら「自力不信」から「自力不振」を招く。

     自分が創った(招いた)「盲点」=「スコトーマ」って、やつだな。

誰でもない、
自分が創った「盲点」=「スコトーマ」・・・・だから、どう考えたって、それを無くせられるのも自分なのだ。
      


「本文」の中にも書いた事だが、自分に問うてみれば、判る。
      
      「おい、お前どうするんだ」ってね。
      
そのあとから、「でも・・・」って声が聞こえたら、偽りの声って事なのだ。
      
偽りの声に、従がったときそれは間違いなく、自分に対する「裏切り」でしかない。!!


物の力・エネルギーに頼らず、
外の力・エネルギーに頼らず、
自分に「やれる事は、何か」「どうすれば、いいのか!!」を考え、行動することだ。

さらに、「まだ、何か・・自分がやれることはないのか」と考える。すると、出来る事が必ず見えてくる。
その体験こそが、自分の力になっていくのだ。

私は、そうやって生きてきた。

私のブログ記事は「TAKUMIの生き方」である。



「おしらせ」です。
      「追記」の中で、出てきました「盲点」=「スコトーマ」についての
      セミナーを今月、大阪にて開きます。
      自分でも、知らない間に自分で創っていた「盲点」が、見えてきます。
      この機会に、是非ご参加ください。

      詳細は こちらへ 




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コメント
-  -
永山さん
この話は、「頭を殴られる話」・・・・
業界的に初めて耳にする話です。

リアルな世界

>「そうかもしれない。でも、命までは取りはしない。でしょ」
この言葉今の俺に言えるのか?・・・
2008/10/02 12:22  | URL | 千葉真也 #-[ 編集] ▲ top
- こんばんは -
コメント頂いてたのに、気がつかず・・・
日にちがたっておりました。
どーやって、ブログを知ったかは、
多分、調べ物をしていて、たどり着いた。
って感じでしょーか。たぶん・たぶん・・・。
HP楽しみにしてます♪
2008/10/10 19:02  | URL | 晴れ #-[ 編集] ▲ top
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