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「伝」・・・秋の夜風に「まさか」が流れる
2010/11/16(Tue)
今年の夏、私は久しぶりに一人、北の旅に出た。
幾つもの新しい出会いを通して、改めてわかったことがある。

誰もが公言しないだけで、実は密かに世の中に漂う大きな「異変」を感じ取っているし、あれこれ社会の裏知識も持っている人も、霊的能力で遊んでいる人も「わんさ」といるのである。本当は、もっといるってことである。

おかげで私は、私と話をすると相手が「元気になる」ことがわかった。
私は特別なことは何もしていない。相手がそうなって、口にしたことである。
本来は、皆、自分で出来たことなのに出来なくなったのは、ご自分に何かそれなりの原因があるってことである。



さて、本題に参る。

かつて、私は、30代前半の頃、ハンググライダーのフライトにて上昇気流を乗り継ぎ、海抜3400メートルを超える上空に浮かぶ雲の上まで行ったことがあった。私の視界には眩しく光りを放つ真っ白な雲の原っぱが眼下に広がり、その白き原っぱの上を飛び進み続けた。空域には私一人である。成長する雲は、まさに生きていた。

眼下の白き雲には、くっきりとした私の翼の影を絶えず中心に納めるパーフェクトサークルの虹色の光「ブロッケン」が映し出されていた。私の左右には、それぞれ少なくとも100メートル以上の距離をおいて白き壁があった。
私は飛びながら、ゆっくりと左翼をその白き壁の頂が翼端越しに見えるまで傾けた。
そこには有に高さ5、600メートルを超える巨大な雲が白くそびえ立っていたが、ただ私は、その白き山が放つとてつもない存在感を感じるだけで、その高みに挑む闘志など私にはなかった。ふたたびゆっくりと翼を水平に戻しながら視線を遥か前方に移したとき、その先には真っ青な空をバックに霊峰富士がちょこんと白き顔をだけを見せていた。

私はあれほどの「蒼き空」を、その後見たことがない。宮崎駿のアニメで見た色使いがそのまま、そこにあった。

「オレは、ここに来るために生まれてきた」と、その時わかった。
感動のあまり「よくぞこの世に産んでくれた」と、両親に感謝した。

突然、である。
私は背後にとてつもなく大きな気配を、はっきりと感じた。
それは、私にとって恐怖を感じさせる何者かの視線としか云いようがなかった。

あまりの不気味さに、私は視界から白い雲の原っぱが切れるまで、一気にフライトスピードを上げた。
雲の浮島の端までたどり着くと、世界が変わったかのようにその「視線と気配」は消えていた。

ほっとした私の眼下には、標高2000メートル近い朝霧山脈さえペッタンコになった色鮮やかな地図が広がり、遥か駿河湾先に見える水平線はゆるやかな弧を描いていた。
翼に感じる大きな風の流れと大気の力は、言葉や姿がなくとも「風が生きている」事実を私に知らしめ、その源である地球そのものが、黙しても意識を持った「生命体」であると、私は実感したのである。

この日のフライトを終えた後、私は富士山の西に広がる大空を仰ぎ見た。
もうそこには、あの大きな白き雲の浮島はなかった。

「さっきのアレ・・・なんなんだ?アレ」
「でもきっと、気のせいだろな?」と、私は納めた。

ところが、翌週のフライトにて、私は海抜3200メートルを超えた空域まで上昇したとき、私にとってその「怖ろしき体験」は、またしても起きたのである。しかし、私は、その体験の事実を口外しなかった。

フライト仲間と酒を飲み交わし、その中で山ほどの体験話を耳にしても、私が体験した事例の話しが先輩フライヤーの口を通して聞くことは一切なく、私の体験した事実を語ろうものなら「キチガイ扱いされるのがオチ」と、していたからである。

私が、ようやくフライヤー仲間との酒の席で口にしたのは、日本人・宇宙飛行士の毛利衛(もうり・まもる)氏が宇宙から帰還後、テレビメディアにて「宇宙から地球を見た時、私は、神を感じた」と語っているのを見た直後である。

「語ってもいい時が来た」と、私は思った。

私が、毛利衛氏の言葉を布石として用い、私の体験を語ったことは云うまでもない。第三者が社会的評価と認知度が高ければ高いほど、ある程度の効果をもたらす。「でも、毛利さんと、永山君じゃねぇ・・・」も覚悟のうえである。
たとえば毛利衛氏から一言、「永山君の言ってること、ほんとだよ」があれば・・・話は別だけどねって。それを「あたりまえ」にやってた時代である。
おかしなことが、「あたりまえ」の世であるって・・・「おかしな世界」である。めんどうな世の中である。

さて、当時のフライヤー仲間の反応は・・・と云えば、笑う者は少なく、気味悪がる者、黙るだけの者など様々であった。(この体験が、酸欠による症状でないことだけは、仲間たちでもわかっていた)
ただ、クラブを束ねる親分・西本久平氏だけは、私の話をちゃんと受け止めてくれたようで、酒の席がお開きになり彼は私と二人残ったフロアで笑みを浮かべポツリ言った。

「オレの場合は、フライト中に死んだ婆さんの気配を感じる事があるんだ。しょっ中だけど怖いと感じたことは一度もない。婆さんのこと好きだったしね」
「ただね、永山。みんなの中にはお前の話を聞いて、怖くなって飛ぶのを考えてしまう者もいるから、さっきの話はもうみんなの前では止めときな」

親分にとって、クラブの仲間とは商売上はお客さんである。仲間が一人でも多いほど売り上げになる。商売を抜きにしても、フライトの楽しさを共有出来る仲間が減ることに繋げかねない要因は、望まない。
私にとっても仲間の誰かが、私の話により「自分にも、怖い事が起きたら・・・」の思いを抱き、フライト仲間の足がフライトエリアから遠ざかるのは、望むものではなかった。

私は、「うん、そうするよ」と答え、フロアの明かりを落とし眠りに就いたのである。


まあ、個人差はあるだろうが、10年もフライトを続けている者であれば、感覚が研ぎ澄まされているフライトをしているとき、自分の意識がいつの間にか肉体があることさえ忘れ、「目」だけになっていると感じるときがある。
当たり前すぎて、そのことにさえ気づかない者もいる。
思い出したとき、「そういえば・・・そうだね」の言葉が、笑顔と共に返ってくる。


私が当時、実際にどんなモノを感じたのか。

私が感じた「意識・存在」とは、少なくとも幅10メートルはあろうと思われる「巨大な一つ目」であった。雲の上を飛んでいる間だけは、その存在が背後に続いた。その気配の余りの怖さに振り返って直視できる状態ではなかった。

当時の私は、私なりにその「意識・存在」を仲間たちの前で、最大限表現した。
「雲の神か・・・風の神か」
「一番しっくりくるのが、地球という生き物の意識だと思うしかない」であった。
そして、その正体は何モノなのかという謎だけが残った。


時は流れ、2007年の10月、千葉幕張の夜、「謎の正体」は、判明した。
私にとって、その「答え」とは私自身にとって、思いもしないモノだった。

その夜、私はある人物との出会いを通し、ふと、「この人なら、謎の正体が何なのか判るかも」と思い問うてみたのである。
その人物は、私からの問い掛けを受けたにも関わらず
「あんた、判ってんでしょ」・・・・・と返してきた。

次の瞬間、私は、「えっ?」(質問したのはオレなのに)との思いと重なるままに、
「まさか、あれはオレ?」・・・・・と口走っていた。

その言葉が自分の口から吐き出されている瞬間、同時に私は(オレは、何を云ってるんだ)と思っていたが、すでに制御できるものではなかった。

「ほら、やっぱりあんたは判っていたでしょ。知っていたってこと」

私が心の中で、「そんなバカな???」と思ったところで、意味がないことも私にはわかっていた。
信じ難い体験と「答え」であったが、私が、私の口を使って、夜風の中に吐き出したのは、「紛れもない事実」であった。

私に残されているのは、その事実を受け入れることだけだった。

「答えはすべて自分の中にある」という私の実体験である。

「まさか」の言葉。それは、わかっていたから・・・・・で、ある。

「真逆・まさか」とは、否定が肯定させられること・・・で、ある。


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