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「伝」・・・「魂の覚醒」は、魂たちの叫び
2010/11/25(Thu)
この記事は、前回のブログ記事のつづきで、ある。

「今回、書き述べた出来事から、今の私なりに、何が起きているのか。その意味を深く検証し、導き出した「答え」に基づき、これからどうすればいいのかを、お送りしたいと思います。」・・・であった。


まず本題に入る前に、現在の私が、私自身についてどのような認識を持っているのかを、
私は読者に対し述べておく必要がある。

誰しもが、「見える世界」では肉体を持っている。私、永山拓美とて同様である。
「あたりまえ」の話である。

私は、永山拓美という専用の肉体を持つ、永山拓美という「魂」である。

因みに、「魂」が本体(主人)であり、専用の肉体は、云わば「乗り物」である。
具体的な表現を用いると、肉体を、クルマに例えたとき、「魂」はオーナードライバーである。
最新鋭のヒト型人造ロボットより遥かに優れた超精密マシーンともいえる
(ひとり旅をさせたら、完全無敵のおしゃべり機能付きである)。

既に、「私の認識」は、一般的レベルでもおおっぴらに口にしないだけで、
「知識だけ」のレベルからしても、驚くほど浸透している「一般的常識」である。

「えっ?・・・知らないの?」って、互いに云わないだけである。

ここで、もし読者が「時代遅れ」の一般常識のままでの視点で、私の「認識」について時代の現状把握も無いまま不用意に、「バカバカしい」って真剣に笑っておられたならば、さっさと「認識」の切り替えを私はお勧め致します。



さて、では「本題」に参る。

これは、私が今回の夏の旅を終えて、その体験によって確認した事実により、
旅する以前に得ていた体験と情報から、自ずと導き出された「答え」である。


では、この夏の旅によって、私に、何が起きているのか。

ひとつ目は、私、永山拓美の本体である「魂」が、本格的に「魂の覚醒」を始めたことである。

私は今でも日常の中で、永山拓美という肉体を以って人生で成し得た体験のデータを基に、
「私について」の統合作業を続けている。

この夏の旅から帰宅したのち、統合しようとするデータ処理のスピードは、「肉体レベル」に止まらず
「魂レベル」の領域に踏み込んだため、これまでにないスピードアップを始めたのである。

実は、今回の行動(夏の旅)とその体験を基に、この執筆活動を展開すること事態、統合するためのデータ処理のスピードアップに、一役を担っている。

では、なぜ私が、「私について」の統合作業を続けているのか。
答えは、「あたりまえ」だから・・・である。

「龍馬」が目指した世の中の、更に先にあるまだ見ぬ世界を、私は実現したい。
それは、私を含めた「みんなのため」である。

私は、私の人生を、そのために使いたい。
せっかくの人生である。使えば、「価値あるモノ」になる。
私の人生は、そのためにある。

今はまだ、その世界は見えないが、私の人生には「そこへ行く」可能性を感じさせる体験だけはある。
それは、「遥か、遥か遠い記憶」を呼び起こす可能性を暗示する体験であった。

違う表現すれば、私には「予知・予言」への可能性があると云える。このままこの活動を続けて行けば、
いずれ新たな「覚醒」が始まる可能性もあると、私は信じている。

「まさか」である。・・・が、「まさか」は、いつも現実である。

「そこ」に戻る(行く)には、じっとしていても戻れない。いかなる旅も自分の足で歩いて行けば、
「目標(めしるべ)の地」に辿り着くことが出来る。(水戸黄門のテーマが、聞こえてくるようである)

まるで、「そこ」というキーワードが示すとおり、先に「底」まで辿り着けば、
あとは、「底」より下がる事はない。残るもう一つの「そこ」とは、「底」を地獄に例えれば、
もう一つの「そこ」は天国ってことである。
(西遊記のガンダーラも、主題歌のなかでは「そこ」でした。・・・ゴダイゴ)

私は、人生の体験を通して、出逢いを繰り返し続けた事によって、
本来自分がいた世界に戻るための方法(生き方のノウハウ)に辿り着いた。
それは「気づきと確信が同時にやってきた瞬間」であった。
この「生き方のノウハウ」を、私は仲間たちと続けている。

自分の想い通りに行動することで、想いの通りの結果を手にすることが出来る。

「どうしていけばいいのか?」の答えが、ここにある。

すべての生き物に共通する行動とは「呼吸」である。
「呼吸」をあたりまえに出来なければ、必ず苦しくなるように、
「生き方のノウハウ」をあたりまえに使いこなせなければ、必ず苦しみを体験する。

然るに、この「生き方のノウハウ」を、「あたりまえ」にやり続けると、苦しみはなくなるってことである。
「道理・・・である」

私にとって、この「生き方のノウハウ」とは、
「私とは、何者なのか。どこから来て、いったいどこへ行くのか」
「なんのためにこの世に存在しているのか」
という問い掛けの「答え」に辿り着ける唯一の方法であると「確信」している。

私は、ずっと「確認」を続けてきた。
「確信の証拠」は、私の体験である。証拠は既に、挙がっている。


この夏、私が旅した北海道・東北・関東・関西に於いて、先の記事に登場したいわゆる「霊的な感性」を持った人々との出逢いが、行く先々で起きてしまった。
そのため、私は、我が身に起こる「不思議」について、「あたりまえ」であるとの認識に「さっさ」と切り替えて、この旅には「何か・・・ある」と、したのである。

因みに、・・・・・。
「何か・・・ある」とは、私が30代の頃より感じ始めた事である。
「我が人生には・・・何か、・・・が、ある」ってね。

今、思えば、・・・私は、既にそれまでの人生を振り返ることを、時折とはいえ「確かに」していた。
「きっかけ」は、それまで・・・そして、その最中に於いても、私にとって「不可思議な、めぐり逢い」だと、思わざるを得ない出逢いを目の当たりにした為であった。

なるほど・・・「めぐり逢い紡いで」とは、
私が大好きなシンガーソングライター・故・大塚博堂が作った曲である。
ここで、登場するための曲であったか!!

今から10年ほど前の私には、まだ「答え」はなくとも、「答え」に向かって行くというより、
正確には「行かされている」という気配が漂っていた。

いやはや、「行かされている」とは、「生かされている」「活かされている」である。
肉体のレベルに限らず、魂のレベルでも云えることである。今は・・・ね。


話を戻します。

私が、今回の不可解な出逢いに直面して、「おいおい、いったい何が起きているんだ」と、
反応したのは最初の頃だけで、あまりにも頻繁に起きたので、旅の途中からは、
「むむっ、もしや・・・」となり、そのうち「ピクッ」と感知するようになってしまった。

「まさか・・・そんなことって・・・」って、いくら思ったところで、
リアルタイムで「今、」目の前で展開しているのは事実でしかない。
然るに、私は、「まさか」も「そんなこと」も、在りのままに受け入れるだけである。

要するに、「まさか」も「そんなこと」も、知っていた(イメージした記憶)から解かるのである。
本当に知らなかったら、本当に思いもしなかったら、その二つの言葉が読者の口から出るはずはない。

イマサラながら「おそろしい」言葉・・・である。

自分の目で見た事実なのに、「ありえない」って言葉を口にするほど、私は馬鹿ではない。

「事実(まさか・そういうこと・ありえない)」とは、そういうモノである。

出逢った人たちは、私と目を合わせ、或いは言葉を交わしたことによって、
それぞれ違った時代の人物を感じ取り、「永山キャラバン号」と言う名の肉体(魂にとっては、クルマ)に
乗り合わせていた内の、ある魂を見ていたに過ぎない。

私と出逢った方の肉体に「同乗していた魂」の一つが、ピンポイントで感知し、ご対面となったまでのこと。
相手は、名乗りこそせぬが、沈着ながら眼光鋭きままひれ伏すところを見れば、
かつては極めて近い親族、或いは家臣の者であったことが解かる。

時代劇にて、「出合え、出合え」と叫ばれる場面があるが、チャンバラなき時代の人生に於いて、
知らずながらも自らに「出逢え!」の言葉を発し、そのまま行動し続けていたら、
多くの「出逢い」が続いていただけのことである。

これまでに旅先で出逢った人たちが語った「証言データ」を、まとめ上げると、
どうやら「永山拓美という肉体」には、歴史上さまざまな時代で名を挙げたモノたち、
即ち、「総大将」ばかりが幾人も乗り合わせているようである。

ただし、私が出逢った人たちが見た魂(彼ら)は、「便乗者・同乗者」に過ぎない。
あくまでも、「永山キャラバン号」のメインドライバーは、永山拓美という名の魂(私)である。

シルクロードの「隊商」が、キャラバンである。

「便乗者・同乗者」は皆、ハンドルを握らせては貰えない。
「総大将のボス」は、永山拓美という名の「魂」である。
「ボス」の意に、異を唱えるならば「即座に降りてもらうしかない」

「彼ら」は皆、永山拓美が突き進む人生という旅路にて、「最期の大峠」に差し掛かる時まで、
「私」に気づかれぬように「じっと」なりを潜めていなければならなかった。

彼らには、共通点がある。それは、「無念」(或いは、恨みの念)である。
この世にて、「無念」を晴らすその期を伺っていたが、この旅にて「私」に感知されてしまった。
「バレた」のである。

然るに、心配は無用である。既に彼らには、永山拓美としての生き方を以って、
「此度その無念を浄化致す」と、宣告してある。
彼らの「真の目的」は、彼らすら忘れていた「心の浄化」である。

最期の乱世を治めるには、「総大将」の魂が成し遂げたかった「悲願」である。
「悲願のままでは、彼岸(次の世界)に渡れず」である。
彼らとて、今世に於いて「改心・浄化」なしでは、彼岸に達することは出来ない。
ならば、永山拓美の意に、素直に従い働くしか手立てはないのである。

今世を彼岸にする「可能性」が、ここにある。


私には、この旅の出逢いによって「解かったこと」がある。

私と出逢い、彼らが口にした様々な時代の人物を、今の私が私なりに「ひとまとめ」にして導き出した答えは、「時空がなくなっている」ってことである。
すべての時代が、ただ見えないだけで実は「同居している」ってことである。

「すべての時空がこの世界で、ペッタンコ・・・になっている」

「時空が存在していない」ということは、
今回を限りに二度と肉体を持つカタチでの転生が出来なくなるということである。

これまでの転生とは、肉体を失った魂が新しい専用の肉体を得ることによって、
前世で成しえなかった失敗を、本来ならば克服するための転生であった。

その転生した世界は、あらゆるデータが示すとおり、今回が六度目の「ラスト」である。
つまり、肉体を使えるうちに改心をする「ラストチャンス」ってこと。
ここでクリアすれば、次のラッキーセブンが示す「七の世界」に行くことが出来る。

「時空がなく同居している」から、「ラストチャンス」に気づいた過去の魂だけは、
次の世界に行く事を目指す魂が持っている肉体(魂にとっては、クルマと同じ)に宿り、
共にクリアするためには「改心」してクリアするするしかない。


日本だけでも、政治・行政・経済・医療・司法・教育・食料・犯罪・・・に加え、自然界の異変に至るまで、
問題ばかりの大騒ぎである。

「世も末の事態」を見れば、ヤバイ事態になっている事は判る。

クリアしないと、次には行けない。
条件は皆同じである。どんな善人も悪人も関係ない。年齢も性別も関係ない。
特別扱いを受けられる人など一人もいない。残念ながらそういう事態である。

私には、「生き方のノウハウ」がある。
クリアするための「ここ一番」をやり続けているのである。

どんなに「美味しいよ」と言われても、食べてみないとわかるはずはない。
どんなに楽しいことも、やり続けてみないと、本当の楽しさはわからない。
どんな相手も、自分で足を運び、直接あって話し、体感しないと相手がどんな人かを、
本当に知ることはできない。


読者が、私に、何時「コンタクト」するかは、すべて読者が決めるしかない。

「本当に愛する者がいるならば、その想いが本物ならば尚更である」

「自らも仲間になりたいと、思われたときが、その時である」


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「伝」・・・「魂の覚醒」が始まる
2010/11/23(Tue)
この夏の旅は、私にとって「魂の覚醒」の旅となった。
私なりに、私が歩んで来た人生の様々な場面に於いて、「我が人生には、何か・・・ある」と感じながら、
感じたままに旅を続け、幾度も訪れる「まさか・・・」をしつこいほど確認してきた。
そして、その「答え」が見えた。正確には「答えを思い出した」・・・である。
大きな意味で「私が生まれてきた理由(わけ)」の「答え」は人生という旅の中にあった。


私、永山拓美が成すべきことは、坂本龍馬が本当に成し遂げたかったことの、先にある世界である。

「本番」である。

「皆が、あたりまえに、楽しゅう、ニカッと笑うて暮らせる世の中にしたい」とは、私がまだ「龍馬」の名さえ知らない泣き虫だった子供の頃より、いつも心の奥で求めていた世の中そのものである。


「刀・武士の時代」は、江戸末期の大政奉還を経たのち、明治10年、西南戦争にて西郷軍の敗北により、
その時代の終わりを迎えた。

しかし、今日に至るまで、「金・商人の時代」に姿を変えただけで、社会の構造の隅々にまで侵入し、
紙切れ目当てに心を奪い奪われ、近頃ではプリントされた数字の羅列を目にしただけで、
毎年日本国内で3万人が「自殺」し続けるご時世である。

数字に殺されたって?「ふつうに、おかしいでしょ!」


いずれ、「金融システムの時代」にも終焉の時が来る。既に、その「足音」は始まっている。
この世の中に於いて、少なくとも金に絡まない社会システムは、現状では存在しない。

「利の世界」である限り、「利害関係」の言葉が示すように、
「利は害を産み、やがて膿む世を作り出す」・・・道理である。

「膿み」が嫌なら出すしかないが、ホットイテモ「膿み」はいずれ出ることになる。これも、「道理」である。


ならば、何のために汗水流し働いた「金」とする。
「死に金」になる前に「生き金」として使えるうちに「利」ではなく「理」のために使うべきである。

「その時」が来ている。

己の為だけに使うつもりであったにせよ、それが同時に「みんなのため」になる結果をもたらす使い方があるから、私は活動を続けながら、この記事を書いている。

志ある者なら、「ここ一番!」出来る事に気づくはずである。



さて、この夏の旅の話である。

夏の旅も一ヶ月半を過ぎたこの夜、私は東京にいた。

夕暮れの新橋駅西口広場にて、待ち合わせ場所に現れたのは、「岩崎」という名の老紳士であった。彼のお目当ての店がお休みとの事で、予定を変更し神田駅近くのガード下にある居酒屋に行く事になり、そこで二人は初対面ではあったが互いの人生に起きた数奇な話を織り交ぜながら、酒を飲み交わしたのである。そこで私は新たな自分に気づくことになる。

この老紳士は、この夏、私が初めて訪れた北海道にて、幾つかの出逢いを経たのち、縁あって利尻島に行くことになり、その島で出逢った「ある御仁」が、私と話をしたあとで紹介してくれたうちの一人である。


その店は、老紳士の馴染みの店であった。老紳士の後に続き店に入ると、なんとも華やいだ笑顔をもつ女将の出迎えを受けた。まだ先客はないものの老紳士に勧められたテーブルには、きちんと「予約席」のカードが添えられていた。
店の女将は、酒の摘みを一通りこしらえたあと、熱く語り始めた老紳士の左隣の席に着き、暫くの間、笑みを湛えながら我々の話を聞いていた。

女将は、調場を仕切る彼女の息子が、私と同じ年の生まれであったことから察して、既に70歳の齢を越えてはいたが、未だにタダナラヌ品格をしっかりと湛えており、それは目を合わせるほどに彼女の内面から懇々と湧き出たる「七色の数珠の如き人生」であり、その人生そのものが肉体として私の目の前に映し出されていた。

私と老紳士の話しを聞きながら見せる女将の笑顔には、若かりし頃より「時代を背負い駆け抜けた数々の男たち」と、互角に渉りあってきたことをほうふつとさせるだけの「人生の重み」が、そこにあった。
その目の奥にあったモノは、まさに「女の将の目」であり、その目は優しさを保ちながら私の目をしっかり見据えていた。

老紳士の話によれば、かつて彼女は、銀座でクラブを仕切っていたとの事であった。
目を見れば、「確かに」・・・と、頷ける話である。

この時、である。私は、私がそれを感じ取る「目」を持っていることに、正直おどろいていた。
そして、素直に受け入れた。いつの間に・・・の思いがそこあった。
それは、これまでの人生で培った「目」と云うより、始めから持っていた「目」の機能が、この旅をしているうちに「覚醒した」と表現するほうが自然である。

「目は、口ほどにモノを云う」というが、「目ほど、モノ云う。口はない」
目を合わせ、感じるモノなれば、言葉や文字はその補助の役目である。・・・そういうことである。

老紳士との話も終わりに近づいた頃、彼は何やら複雑そうな表情をのぞかせ、これまでより少し抑えた声で語り出した。
「永山さん、あなたと話をしていたら、まるでブッダかキリストがワシの目の前にいるのか・・・と感じる」
「ああ、すまん。年寄りがおかしなことを言ったと思ってくれ」
「でも、そんな生き方しとったら、命が幾つあっても足らんとワシは思うがな」

私は、老紳士の言葉にどう返していいものかわからず、「???」となった。
私はこれまで、「そんなこと」を人から言われたことなどなかったのである。
彼は、幾分抑えた声で、「私は、津軽に移り住んだ岩崎弥太郎の子孫じゃよ」と、口にした。

すると、今度は女将の口から「永山さん。あなたは、織田信長のようですね」と、言葉がこぼれた。
次の瞬間、私は、もう感じ取っていた。
「女将さん・・・には、私を見て、私ではない何かを見ることが出来るのですね?」と、私は目をそのままに問いかけた。
女将は、目に笑みを浮かべ、軽く頷いたのち、
「あなたは、とても強い霊感の持ち主のようね」と、言葉を返した。

その言葉は、私にとって予想もしないものであった。正直、私は、霊など見えないモノを見る能力など持ち合わせていない。
私にとって、女将が口にした霊感が強いとかの話など「何のこと?」であった。

ただ、あえて言うなれば、私には子供の頃から、なんらかの存在を感じる時が確かにあった。
それさえ、私はいつも「きっと、気のせいだろう」で、繰り返し片付けていたのだが、いつまでも無視も出来ない旅の展開を重ねたため、検証するしかなくなったのである。

人生に於ける体験に、「無駄なものはない」が持論である。

今回の旅を通して、時よりこの女将のような人との出逢いが起きたことから、霊的なモノが見える人が私を見て何かしら反応した瞬間、それを私が感知するようになったまでのことである。女将の言葉から察するに、どうやら戦国の覇者の織田信長も、
此度は自ら「改心一路」と腹を括(99)った潔さ、である。


「話しの途中」だが・・・・・・
既に読者の中にも、今宵の老紳士とて「例外ではない」と、お気づきでは・・・。
政商・岩崎弥太郎には、「生涯、忘れられない男」の名・・・が、ある。

我が「永山」の姓の起源は、足利将軍家が滅んだのち「坂本」と「永山」の二つの姓を名乗るようになったのである。因縁は、無縁ではない。
(ただし、私の実家の血統の系譜は、定かではない。あしからず)

「まさか・・・」である。我が人生の出逢いに於いて、「坂本竜馬」は数々登場していたのである。
薩摩と長州、そして土佐と十三(とさ)湊も、我が人生に於いて無縁ではない。
ふと、人生を振り返ったら、ゾッとするほど見えてきただけである。
「竜馬」に怨みの念はない。あるとすれば、少しばかりの「無念」である。


さて、話を戻すとしよう。
時間の経つのは早いもので、終電のひとつ前の時間を迎えた私と老紳士は、店を出ることにした。
店を背にし、「きっと何かのご縁ですね」と、女将がにこやかに言葉を添えた。

老紳士は、頷きながら「これも、必然・・・というやつですな」と、老紳士ならではの、言葉で答えた。
その言葉にピクッと反応した私は、女将と老紳士の目をちょっぴりオドケル視線で覗き込み、
「あたりまえ・・・ってことですね」と、言葉を続けた。

老紳士は、上機嫌の笑い声にそのまま言葉をのせて、
「あたりまえ・・・。うむ。面白い、気にいった。これからは私も使わせてもらうとしよう」と、なった。

「また、いつでもいらっしゃい」と、暖かな言葉で見送る女将の声は、名残惜しさを感じさせ、
今宵の出逢いをいちだんと華やぐものに仕上げてくれた。さすが・・・で、ある。

女将からの見送りの言葉を背に、余韻を噛み締めながら駅に向かい歩き出した。

ふと見渡せば、店灯かりの落ち始めたガード下には、ようやく秋の訪れを感じさせる心地よい夜風が、
ただ時の過ぎ行くままに静かに流れていた。

・・・・・・・・・・・・・「つづく」

「追記」
「つづき」は、既に仕上がりに近い。
今回、書き述べた出来事から、今の私なりに、何が起きているのか。その意味を深く検証し、導き出した「答え」に基づき、
これからどうすればいいのかをお送りしたいと思います。

私は、この活動を続けたい。その想いで続けてきたし、続けさせて欲しいのです。
私は、TLC匠(代表・永山拓美)の活動資金をご支援して下さる方を求めています。まずは、ご一報を。

連絡先は、TLC匠のホームページ(当ブログのリンク欄)にあります。



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「伝」・・・秋の夜風に「まさか」が流れる
2010/11/16(Tue)
今年の夏、私は久しぶりに一人、北の旅に出た。
幾つもの新しい出会いを通して、改めてわかったことがある。

誰もが公言しないだけで、実は密かに世の中に漂う大きな「異変」を感じ取っているし、あれこれ社会の裏知識も持っている人も、霊的能力で遊んでいる人も「わんさ」といるのである。本当は、もっといるってことである。

おかげで私は、私と話をすると相手が「元気になる」ことがわかった。
私は特別なことは何もしていない。相手がそうなって、口にしたことである。
本来は、皆、自分で出来たことなのに出来なくなったのは、ご自分に何かそれなりの原因があるってことである。



さて、本題に参る。

かつて、私は、30代前半の頃、ハンググライダーのフライトにて上昇気流を乗り継ぎ、海抜3400メートルを超える上空に浮かぶ雲の上まで行ったことがあった。私の視界には眩しく光りを放つ真っ白な雲の原っぱが眼下に広がり、その白き原っぱの上を飛び進み続けた。空域には私一人である。成長する雲は、まさに生きていた。

眼下の白き雲には、くっきりとした私の翼の影を絶えず中心に納めるパーフェクトサークルの虹色の光「ブロッケン」が映し出されていた。私の左右には、それぞれ少なくとも100メートル以上の距離をおいて白き壁があった。
私は飛びながら、ゆっくりと左翼をその白き壁の頂が翼端越しに見えるまで傾けた。
そこには有に高さ5、600メートルを超える巨大な雲が白くそびえ立っていたが、ただ私は、その白き山が放つとてつもない存在感を感じるだけで、その高みに挑む闘志など私にはなかった。ふたたびゆっくりと翼を水平に戻しながら視線を遥か前方に移したとき、その先には真っ青な空をバックに霊峰富士がちょこんと白き顔をだけを見せていた。

私はあれほどの「蒼き空」を、その後見たことがない。宮崎駿のアニメで見た色使いがそのまま、そこにあった。

「オレは、ここに来るために生まれてきた」と、その時わかった。
感動のあまり「よくぞこの世に産んでくれた」と、両親に感謝した。

突然、である。
私は背後にとてつもなく大きな気配を、はっきりと感じた。
それは、私にとって恐怖を感じさせる何者かの視線としか云いようがなかった。

あまりの不気味さに、私は視界から白い雲の原っぱが切れるまで、一気にフライトスピードを上げた。
雲の浮島の端までたどり着くと、世界が変わったかのようにその「視線と気配」は消えていた。

ほっとした私の眼下には、標高2000メートル近い朝霧山脈さえペッタンコになった色鮮やかな地図が広がり、遥か駿河湾先に見える水平線はゆるやかな弧を描いていた。
翼に感じる大きな風の流れと大気の力は、言葉や姿がなくとも「風が生きている」事実を私に知らしめ、その源である地球そのものが、黙しても意識を持った「生命体」であると、私は実感したのである。

この日のフライトを終えた後、私は富士山の西に広がる大空を仰ぎ見た。
もうそこには、あの大きな白き雲の浮島はなかった。

「さっきのアレ・・・なんなんだ?アレ」
「でもきっと、気のせいだろな?」と、私は納めた。

ところが、翌週のフライトにて、私は海抜3200メートルを超えた空域まで上昇したとき、私にとってその「怖ろしき体験」は、またしても起きたのである。しかし、私は、その体験の事実を口外しなかった。

フライト仲間と酒を飲み交わし、その中で山ほどの体験話を耳にしても、私が体験した事例の話しが先輩フライヤーの口を通して聞くことは一切なく、私の体験した事実を語ろうものなら「キチガイ扱いされるのがオチ」と、していたからである。

私が、ようやくフライヤー仲間との酒の席で口にしたのは、日本人・宇宙飛行士の毛利衛(もうり・まもる)氏が宇宙から帰還後、テレビメディアにて「宇宙から地球を見た時、私は、神を感じた」と語っているのを見た直後である。

「語ってもいい時が来た」と、私は思った。

私が、毛利衛氏の言葉を布石として用い、私の体験を語ったことは云うまでもない。第三者が社会的評価と認知度が高ければ高いほど、ある程度の効果をもたらす。「でも、毛利さんと、永山君じゃねぇ・・・」も覚悟のうえである。
たとえば毛利衛氏から一言、「永山君の言ってること、ほんとだよ」があれば・・・話は別だけどねって。それを「あたりまえ」にやってた時代である。
おかしなことが、「あたりまえ」の世であるって・・・「おかしな世界」である。めんどうな世の中である。

さて、当時のフライヤー仲間の反応は・・・と云えば、笑う者は少なく、気味悪がる者、黙るだけの者など様々であった。(この体験が、酸欠による症状でないことだけは、仲間たちでもわかっていた)
ただ、クラブを束ねる親分・西本久平氏だけは、私の話をちゃんと受け止めてくれたようで、酒の席がお開きになり彼は私と二人残ったフロアで笑みを浮かべポツリ言った。

「オレの場合は、フライト中に死んだ婆さんの気配を感じる事があるんだ。しょっ中だけど怖いと感じたことは一度もない。婆さんのこと好きだったしね」
「ただね、永山。みんなの中にはお前の話を聞いて、怖くなって飛ぶのを考えてしまう者もいるから、さっきの話はもうみんなの前では止めときな」

親分にとって、クラブの仲間とは商売上はお客さんである。仲間が一人でも多いほど売り上げになる。商売を抜きにしても、フライトの楽しさを共有出来る仲間が減ることに繋げかねない要因は、望まない。
私にとっても仲間の誰かが、私の話により「自分にも、怖い事が起きたら・・・」の思いを抱き、フライト仲間の足がフライトエリアから遠ざかるのは、望むものではなかった。

私は、「うん、そうするよ」と答え、フロアの明かりを落とし眠りに就いたのである。


まあ、個人差はあるだろうが、10年もフライトを続けている者であれば、感覚が研ぎ澄まされているフライトをしているとき、自分の意識がいつの間にか肉体があることさえ忘れ、「目」だけになっていると感じるときがある。
当たり前すぎて、そのことにさえ気づかない者もいる。
思い出したとき、「そういえば・・・そうだね」の言葉が、笑顔と共に返ってくる。


私が当時、実際にどんなモノを感じたのか。

私が感じた「意識・存在」とは、少なくとも幅10メートルはあろうと思われる「巨大な一つ目」であった。雲の上を飛んでいる間だけは、その存在が背後に続いた。その気配の余りの怖さに振り返って直視できる状態ではなかった。

当時の私は、私なりにその「意識・存在」を仲間たちの前で、最大限表現した。
「雲の神か・・・風の神か」
「一番しっくりくるのが、地球という生き物の意識だと思うしかない」であった。
そして、その正体は何モノなのかという謎だけが残った。


時は流れ、2007年の10月、千葉幕張の夜、「謎の正体」は、判明した。
私にとって、その「答え」とは私自身にとって、思いもしないモノだった。

その夜、私はある人物との出会いを通し、ふと、「この人なら、謎の正体が何なのか判るかも」と思い問うてみたのである。
その人物は、私からの問い掛けを受けたにも関わらず
「あんた、判ってんでしょ」・・・・・と返してきた。

次の瞬間、私は、「えっ?」(質問したのはオレなのに)との思いと重なるままに、
「まさか、あれはオレ?」・・・・・と口走っていた。

その言葉が自分の口から吐き出されている瞬間、同時に私は(オレは、何を云ってるんだ)と思っていたが、すでに制御できるものではなかった。

「ほら、やっぱりあんたは判っていたでしょ。知っていたってこと」

私が心の中で、「そんなバカな???」と思ったところで、意味がないことも私にはわかっていた。
信じ難い体験と「答え」であったが、私が、私の口を使って、夜風の中に吐き出したのは、「紛れもない事実」であった。

私に残されているのは、その事実を受け入れることだけだった。

「答えはすべて自分の中にある」という私の実体験である。

「まさか」の言葉。それは、わかっていたから・・・・・で、ある。

「真逆・まさか」とは、否定が肯定させられること・・・で、ある。


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