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「告」・・・裁判の中の「まさか」の数字
2010/07/07(Wed)
京都の街に、お寺や神社が多い事は誰でも知っている。
今回は、「世界遺産」なんてぇ大層な肩書きの付いた所の話ではない。

古い町並みを残すこの街を歩けば、至るところに驚くほどに小さな祠に祀られた「お地蔵さま」を目にする。但し・・・である。この「お地蔵さま」たちを納めてある祠の格子扉は閉ざされ、オマケに南京錠までしてある。まるで、牢屋である。

「お地蔵さま」とは、地蔵菩薩の事だが、そもそもは「閻魔大王」である。

「建前」という文化を持つこの街に、「ウソ」を通さぬ「閻魔大王」がこれでもかと言わんばかりに配置されているのは、あとで舌を抜かれる事を暗に町衆は覚悟しているとみえる。

閻魔さまも、ナメラレタものである。
ナメテイラレルのも、舌を抜かれるまでのことである。
やったことは、語らずともお見通しである。己が一番判っていることである。

閻魔さまは、判決を一人で下す。
裁判官のように、多数決もなければ、判例がどうのもヘッタクレもない。

閻魔さまの前では、「反省しています」など、寝言にもならない。
無意味な戯言(ざれごと)である。

「地獄の沙汰もカネ次第」というが、カネとは「お金」の事ではない。
直角(かねおれ)の「直」の事である。「心が捻じ曲がっていないか」ってことを言っているのだ。閻魔さまの前では、素直が一番ってこと。


さて、本題に移る。

私は子供の頃から、自分の生年月日や名前にまつわる「数字」を気にするちょっと変なところがあった。
読者の方にも、そんな方が居られるのでは?

この裁判には、「おかしなこと」が、数多く起きている事実がある。

その中の一つが、裁判にまつわる「数字」である。
今回の記事を読んで読者はどう思われます・・・かな?


一審の判決日は、2009年10月6日だった。(京都地裁・米山正明裁判長)
判決は、検察の求刑10年に対し、実刑6年の有罪判決となった。
判決の日付と刑期は、同じ数字になっていた。

この数字は、二審(控訴審)にて再び登場することになった。


二審の判決日は、2010年6月2日だった。(大阪高裁・古川博裁判長)
二審(控訴審)の判決は、控訴棄却、一審判決を認め「実刑6年」であった。

この日付、よくご覧頂きたい。「2010/06/02」の数字の配列を見て、勘よくすぐに「ピン」と来る方には、説明不要である。配列の中央に一審判決の時に見た「10」と「06」即ち「6」の数字である。出来すぎである。

付け加えれば、両端の数字が「20」と「02」になっており、鏡写しの絵である。
また、「20」と「02」の数字には、一審の「2009」との関連が見て取れる。
(20マイナス2=18¬・・・2×9、「2」と「9」は「2009」の両端の数字である。
18・・・3×6でもあるが、3と6をたすと再び「9」が現れる)

因みに、一審の最終公判日(5回目の公判)であった2009年9月2日、米山正明裁判長は、法廷にて「判決日は、10月6日」と告げたのち、閉廷となった。
数列は、「2009/09/02」である。そこには、両端に再び「20」と「02」があり、
中央には「09」と「09」。つまり、「9」がふたつ。「2×9」である。


この数字は、「偶然」ではない。
「なにかある」と思わない方が、私としては「おかしい」のである。


しつこいようだが念のため、一審の第一回公判日から日付を洗って見る事にした。
第一回公判日 2009年7月14日
第二回公判日 2009年7月15日
第三回公判日 2009年7月29日(14+15=29。足し算で決めた日付になる)

第四回公判日 2009年8月4日
予備公判日  2009年8月5日(公判は無し)
(8月の4日、5日の両日だが、単純に7月の第一回と第二回の「日にち」から、それぞれ「10日」を引いたと考えても間違いではない。
7月に3度の公判があったので、7×3=21として、それぞれ「21日」を足したとしたら、やはりこの日付である)

第五回公判日 2009年09月02日
(第三回公判の29日を、第四回の8月4日にたすと、9月2日である)

二審(控訴審)の公判は、一回限り。公判日は2010年4月21日である。
一審の第四回公判の時に見た数字の「4」と「21」が再び登場したのである。
この日、法廷にて古川博裁判長は、「控訴審の判決日は、6月2日とします」と告げ、閉廷となった。

読者は、これを「こじつけ」「単なる偶然だ」と、言い切れるかい?


「生と死とはなにか」が問われている重大なこの裁判において、数字遊びをしているのは私ではない。
日付も、判決の量刑も決めているのは「裁判官(裁判長)たち」である。

いったい何のために、わざわざこんな数字を選んでいるのか。
もし、意図的にゲームをしているのなら、そら恐ろしい話である。

何よりも恐ろしいのは、この裁判が今、現実に行われ二度も実刑判決の「数字」に日付が使われていることである。


この裁判は尋常でない。「なにかある」


この裁判は、まだ終わってはいない。現在、被告人と弁護人は、最高裁での「上告審」に向けて準備中である。

私としては、こんな「裁判ではない裁判」をやり続けていること事態が、そして無罪の家族を苦しめて遊んでいる裁判が存在していること事態が「おかしい」のである。これは、有罪とか無罪とかを審議する以前の話である。




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