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平安神宮の風と夏の雲
2008/07/31(Thu)
祇園祭りも終わり、京都にも本格的な夏が来た。

日曜日の午後から、街頭活動の「聞く屋」と「ほんまか」をやるために、
スタッフ5人で、平安神宮へ出掛けた。

三条通りのパーキングに車を置いて、朱塗りの大鳥居を正面に見ながら、
京都みやげのお店が並ぶ神宮道(参道)を歩く。

まだ昼の2時。
真夏日の予報通り、頭上には、なんともくそ真面目に仕事熱心な太陽である。

あきらめの茹だる暑さの中、自ずと少ない日陰を求めて歩くと、
舗道とお店の間に、巾40センチ程で深さも20センチ程度しかない、
なんとも可愛い水路が、目に付いた。
水量こそ少ないものの、涼しげな水の流れが、眼にうれしかった。

     私は、この街づくりの「粋」な計らいに、思わずニンマリである。

朱塗りの慶流橋を渡る時、眼下を流れる琵琶湖疎水を、のぞきこんだ。
流れの中で、大きな水草が優雅に揺れているのが見え、
それは、そのまま橋の上の、風の流れと重なった。

     私は、橋の近くの木陰に「聞く屋」を構えた。前回と同じ場所である。

他のスタッフも、それぞれ思い思いに、自分の気に入ったポイントに向かった。

     私は、持ち出しのイスに腰を降ろし、客を待った。
     暫くの間は、さすがに徹夜作業の疲れもあり、頭は「ぼーっ」と、していた。

  
私の、左うしろに建つ美術館では、「ルノアール展」が開催され、
看板によると、どうやら会期は明日までの様である。
「最後尾はこちら」のプラカードの先に、チケットを求める人の、長い行列が見えた。

そんな訳で私の目の前を、行き交う殆んどの人々は、
ルノアールがお目当ての様で、「聞く屋」の看板と、私にに向けられた視線も、
当然の如く足早に、あのプラカードへと向かったのである。

     まあ、この分じゃ当分の間は、客も来ないと踏んだ 私は、タバコをふかしながら、
     水路沿いの風に揺れるあざやかな緑の葉樹を、ぼんやりと見上げていた。
     葉樹の後方に何気なく視線を移すと、東山の山並があり、
     さらに遥か上空には、青い空にしっかり委きり立った白い夏の雲が、聳えていた。
     
     そこには、これまでの私の様々な夏の旅の記憶を、思い起こしてくれる色使いがあり、
     旅の記憶は、次々に巻き戻り、あの27歳の夏へ。
     
     当時、私は東京の足立区にあった、テレビや舞台、イベントの美術製作会社で働いていた。
     
     その年の夏休み、私は自転車の旅に出た。
     東京を出発して、山梨・長野を抜けて直江津に出ると、日本海沿いを南下して、富山にいた。
     昼過ぎの青空を見上げ、白く聳える夏雲を見ていると、
     数年前に退社したYさんを思い出し、無性に「会いたい!」という思いが込上げてきた。

     入社当時、社内には転職組みの、「一匹狼」の匂いがプンプンする先輩たちが数多くいて、
     新米の私といえば、どの先輩にも従うしか術を知らない「八方美人」の犬っころだった。
     そんな先輩たちの中、とりわけ私に厳しく接するYさんがいた。
     彼は、出身地が私と同郷の鹿児島だったこともあり、

     「お前みたいな軟弱者の脱藩者が、薩摩を名乗るな!!」

     「永山ぁ、お前いつまで八方美人やってんだ!」

     そして、忘れる事のない彼からの言葉・・・・「毒をもて!!」

     私は、そんなYさんに「永山ぁ!」と、呼ばれる度にビクついたものだった。
     その後も、私にとって、Yさんは実に恐くて"煙たい男"だったのである。

     私が入社して4年目の年、そんなYさんが、私の前からいなくなったのである。
     私は、彼の退社を知り、ほっとした。
     次の瞬間、急激に淋しさめいたものが込上げ、あっという間に、私の心は包まれた。
     私は"はっ"と気づいた。
     
     私は、そのとき傍にいたYさんと仲良しの先輩Aさんに、聞いた。

     「Aさん・・・もしかしてYさんって、この会社で一番俺のこと見てくれた人じゃあ・・・」
     (俺にとって、本当に大事な人、有り難い人がいなくなった・・・)

      Aさんは、ニカッと笑って、
     「ばーか おめぇ、今頃になってやっとわかったんか」
     「Yやんくらい、おめぇのこと気に掛けてたヤツは、いねぇよ」
     
     私は、Aさんの笑顔の言葉に、Yさんの「本質」を知る男の想いがあった。
     
     そして私は、自分のあまりの不甲斐なさに、声を押し殺したまま、   
     Aさんの目の前である事さえはばからず、しゃくりあげて泣いてしまったのである。

     数日後、私は先輩たちの会話から、
     Yさんは舞踏団「山海塾」の海外ツアーの舞台監督として、日本を離れてしまった事を
     知ったのだった。


          あれから3年になる。
     
     「Yさんに、会いたい!!」・・・富山の夏の雲は、力強く委きり立っていた。

     
     私の脳裏にふと、
     Yさんが、毎年夏になると会社を休み、青森へ行っていたような微かな記憶が、やってきた。
     
     「Yさんが、行っていたのは、青森ねぶ・・・・いや!! あれはたしか・・弘前、
     そうだ、弘前のねぷた祭りだ!!」

     「今日は、8月6日・・・まだ、ねぷた祭りは、やっているだろうか?」

     私は、何かに背中を押されるものを覚え、すぐさま富山駅に自転車を走らせた。

     駅の改札の真上にある、大きな時刻表に目をやると、
     青森行きの寝台特急「日本海」があった。

     私は、念のため青森までの切符を買うと、自転車をたたみバッグに詰めて、
     弘前に向かった。 

     翌朝、私は弘前駅で電車を降り、改札に立つ駅員に尋ねた。

     「ねぷた祭りって、まだやってますか?」
 
     「ねぷたは、今日の昼までで終わりだよ」
     「土手町で、やってるはずだけど、まだやってるかなぁ」

     私の体中に、「Yさんに、会いたい!」の想いが、さらに満ちてきた。 
     
     私は、「ありがとうございます」と、駅員に礼を言うなり、改札の外へ出た。       
     そして、急いで自転車を組み立てると、弘前の街の中を夢中で走り回った。
 
     祭り装束の人流れが見えると、土手町のアーケードを行く祭囃子とねぷた行列の
     人々の中に、ひたすら"Yさん"の顔を探しまくった。
     下り坂に架かる橋を越えると、前方に真っ白な人形ねぷたの一団が見えた。

     祭囃子を乗せた秋風と、まばゆい光の中に、
     私はついに"Yさん"を見つけ、めいっぱい声を張り上げ彼の名を呼んだのである。

     Yさんは、思いがけない私の姿に目を見開き、男の笑顔で言い放った。

     「おぅ、永山ぁ  よく来た! お前も一緒にねぷたを牽けぇ!」               
     

     "Yさん"との再会、そしてそれこそが、
     弘前ねぷた団体「必殺ねぷた人」と、私の出会いであった。


煙草の煙に、風の動きを目で追いながら、私は思った。

     「煙たい人」だと思えた人こそ、実は自分にとって「本当にありがたい人」なのだと。
     「煙たい人」こそ、いつの世にも必要である事がわかる。

     てぇ事は、何やら世を挙げての、声高な過剰とも思える「禁煙ブーム」の、
     この流れの「本当の狙い」は、「煙たい人」にいてもらうと都合の悪い輩の、
     「煙たい人」を排除しょうとする動きの現れとも思えなくもない。

     すでに、散々「煙たい人」を排除してきた結果、今の多方面での、やりたい放題の
     おかしな出来事が起きても、なんら不思議ではないのだと。

     
     
陽も傾き始め、木陰も伸びていた。
茹だる暑さも治まり、「聞く屋」を構える私の許にも、心地よい風がやって来た。

     「さて、そろそろお客さんも、来そうだな」

煙草を吸い終わると、案の定
「ねぇ、聞く屋さんってなあに?」の声が来た。仕事の始まりである。

このあと、店閉まいまでに8人のお客さんと、話をする事となった。

様々な人たちとの、出会いと語らいのあるこの仕事は、なんとも楽しいものである。


この日の、「聞く屋」と「ほんまか」を終え、
スタッフと笑いながら慶流橋を渡る背に、大鳥居からの風が、やさしく吹いていた。       
       

    

<追記>
 
     本文に記した、旅の体験を振り返り、出てきた言葉が、"思ったら、動け!"である。
     
     そのことは、"思ったら、素直に言え!」に、なった。
               
     子供のように素直になればいいのである。
  
     
     何か思ったすぐ後に、

     「でも」  「しかし」  「そうは言っても」
     
     そんな言葉が出た途端に、何も出来ず、何も言えず、
     虚しい思いの体験だけが残るのは、あたりまえの事である。



            「毒をもて!」と、言えば     
     
     かつて私は、ハンググライダーの怪鳥倶楽部の仲間たちに留まらず、
     旅先で出会ったフライヤーたちとの、酒盛りの席で、

     「毒を持たねば、フライヤーにあらず」と、言ってきた。

     八方美人の仲良しクラブの匂いに、危機感を覚えたからだった。
     幾人かの仲間が死ぬ度、私の仲間たちが、口にする飛んで死に至った者への、

     「なんで、あんなにいいヤツが、死んじゃうんだ!」の言葉に、ガツンと反応したのだ。

     私は、"そこそこ"いい人程度ならば、気にはしない。

     「いいだけの人にだけはなるな!」
     
     「死にたくなかったらな!」

     大抵の場合、怪訝そうな目を含んだ笑いが、返って来たが、
     解かる人は、私の言葉にのせた思いを、しっかり捕らえていた。

     仲間を失う度に味わった、あの"くやしい思い"だけは、もうしたくない一心だった。

     


     私が、やりたいと思い始めた「本当の仕事」 それは「世直し」である。

     そして、これこそが「本当のまつり」なのである。

     「まつり」を、学ぶため一番の街が、ここ京都である事は、
     その道の者たちならば、周知のことである。  




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同窓生K君からの電話
2008/07/15(Tue)
京都は学生の街である。

紫明の自宅から程近くにも、同志社大学がある。
夕方、私は仕事仲間と四人で、数日前から楽しみにしていた同志社大生による、
「演劇集団Q」の芝居を、観に出掛けることにした。
妻は、どうしても終えたい仕事のため、お留守番となった。
    
     (いっしょに、芝居を観に行けないのは、なんとも残念である。)
 
     私自身、永い東京時代に、テレビ・舞台・イベント業界の、裏方の仕事をしてきた。
     そこには、いま活躍している役者や、声優たちの若かりし夢を追い駆ける姿が、
     数多くあった。
     彼らとの関わりは、彼らの舞台を観に行くだけでなく、
     プライベートでも、30代前半に、役者の友人らに誘われ、下北沢・駅前劇場で、
     一人で舞台のセットを手掛けた体験は、私の「宝物」のひとつになっている。

自宅を出ると陽は、かなり西の山に傾き「夕涼み」と、いきたいところだが、
昼間の暑さは、まだまだしぶとく、夜に向かう通りの風と、せめぎ合いをしていた。

京都らしい格子の家が建ち並ぶ、裏通りを抜けると、広い吹き抜けのある校舎が見えた。
"小屋"(劇場)は、広場の突き当たりにあり、中に入ると、
受付の若い男女が、いかにも新人といった感じの、初々しい笑顔で、迎え入れてくれた。

上段の客席に、仲間と並び、私はケイタイをマナーモードにすると、
ぶるぶるっと、電話がきた。
着信画面を見ると、中学の同窓生のK君からだ。
私はあわてて、小屋を飛び出し、広場へ出た。
 
     (私は少しだけ、開演時間が近い事を、気にしていた。)

先週、東京でのセミナーの案内を、全国の知人らに送った。もちろん、K君にも。
実は昨日も、彼からの電話をもらったのだが、その時はなにやら不自然な感じの会話で終わった。
彼の声を聞くのは、実に七年ぶりだったのである。

話を始めたものの、お互いに鹿児島の方言は、すでに消えてしまっていた。
私の記憶とは違う声も、話すうちに、少しずつ記憶の中の彼の声に戻っていった。

彼の話は、かわいい子供の事や、故郷で暮らすT君に、もう孫がいる話が続く中、
今年で、47歳になる事への驚きが、二人の会話に漂っていた。

「"たくべぇ"の、東京のセミナーに行きたいんだけど、土・日が仕事でさぁ。」と、
残念そうな声であった。(子供の頃のニックネームは、"たくべぇ"だった。)

      「そうか、まあ、可愛い子供がいるんじゃ、がんばって仕事しないとねぇ。」

「田舎の友達と会って、酒を飲みながら"たくべぇ"の事を、話すとするじゃない。
こうやって電話で聞いた話より、やっぱり"たくべぇ"のやってる事を、
自分で直に見て、話たいじゃない。」

      私は、彼のその言葉が、とてもうれしかった。
      そして、胸の中で「それだよ。」と、つぶやいた。

      彼の言葉から、見えてくる事がある。
      まるで、井戸端会議のように、不確かな情報が、飛び交っているこの社会。
      妄想や、憶測だけの話を持ち合い、いつの間にか嘘の話に、疑いすら持たず、
      終いには、確かめようともせず、勝手に思い込み、解かったふりまでして
      一体、なにやってんの?って感じである。
      
      私は思う。自分で体験・体感した事が、本物(本当のこと)なんだと。
      彼は、その事を知っているのだ。

      私は、彼の残念がる言葉に、

      「じゃあ、次に東京でセミナーをやるときは、平日もやるね。」と、言った。

彼は、笑いながら、
「今度、同窓会で会ったら、酒を飲もう。 じゃあね。」

      「うん、楽しみに頑張るよ。電話ありがとう。」

電話を終え、天を見上げた。
私は、学生たちの若い声をのせて、広場をめぐる夜風の中にいた。

時計に目をやると、芝居の定刻だった。
私は、小屋に急いだ。

客電が落ちた。 芝居が始まるのだ。
      
    暗闇の中、 多くの友人たちの励ましと、K君の言葉に、
            私の胸は、初舞台に向けて、熱くなっていた。
                                        (おしまい。)



追記   「本物を求めたいのなら」
      
      新潟の友人から、心理学の博士の本をもらったので、
      パラパラと、目を通してみたら、ナントモ中途半端な内容で、
      笑えもしない呆れたものだった。
      要は、心理学というマニュアルにおいて、生身の人間を、
      相手しているだけだから、所詮ズバッとした事など言えはしないのである。
      
      心理学を、かじった事のある人に於いては、
      「当人の、気持ちになって」などと、のたまう鈍ら刀でしかない。            
      当人の、気持ちなど、はっきり言って100%解かるのは、当人だけであって、
      解かったつもりでしかやってない、いいかげんな事を言ってるだけなのだ。

      私の所に来た方が、決まって口にする言葉がある。
      「貴方は、他とは違い、自分の体験に基づいて、話をしていますね。」
      私にしてみたら、あたりまえである。

      マニュアルに基づいて、語る者がいて、
      体験に基づいて、語る者がいる。
      どちらの言葉が、聞き手の心に響くかは、言わずもがなである。

      体験から得た知識こそが、一番なのだと。
      先に、知識(理解)を得た者は、その後で実践(行動と体験)をしてこそ、
      初めて、真の知識を得られるのだと。
      そして、その知識を共有し合う体験の、繰り返しの中で、絶えず磨かれていくのである。



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北大路烏丸の夜
2008/07/06(Sun)
東京での仕事を終えて、京都へ戻った。

連日の雨も、その日の夜は一休み。
20時近くになり、私は妻と二人で、街頭活動に出る事にした。
向かい先は、自宅から程近い、北大路烏丸のアーケードである。

いつもの3人掛けのベンチには、先客が一人座っていた。
見覚えのある、ホームレスとおぼしき風体の、60代の男性である。
白髪頭ではあるが、襟足は、なんとなく切り揃えてあるのが見えた。

となりのベンチは、少しヨレヨレではあったが、
「まぁ、いっか」と、私と妻は陣取ることにした。

     私は、となりの彼の事が、少し気になっていた。
     彼の、黙ったままタバコを吸っている姿を、横目で見てるうち、
     何時しか、なんら自分らと変わらぬ一般の人なのだと、思えた。

     視線を移すと、少ないなりにも、地下鉄やスーパーへ行き交う人々が、
     私たちの前を、通り過ぎて行くのみであった。

そんな中、50才くらいの、一人の買い物帰りの女性が、自転車で通り過ぎた先で、
何かに気づいたかの様に、振り向いた。
彼女は、自転車から降りて、となりの彼に近寄り、声をかけた。

「おじさん、晩ごはんもうすんだぁ?」

彼は、首を横に振り、「いや」と小さな声で返した。

彼女は、自転車の買い物袋から、割引シール付きの大きな弁当と海苔巻きのパックを取り出し、
彼の目の前に差し出した。

「おじさん、どっちにするぅ?」

彼は、迷わず大きな弁当を選んで、嬉しそうに受け取り、
関西なまりの、「ありがとぉ。」と、彼女に頭を下げた。

     私は、二人を見ているだけで、うれしくなった。

彼女は、私たちとも笑顔の会釈を交わし、
「じゃあね」と、言って立ち去った。

     私は、何のためらいも無く、弁当を手にした彼に、
     「よかったですね。」と、声を掛けた。

彼は、私にペコリと「ありがとぉ。」と、返した。

     私は、彼からの、「ありがとぉ。」の言葉に、息を呑んだ。
     私は、何もあげていない。
         一声掛けただけである。

     日頃、様々な場面で使われている「ありがとう」の言葉。
     それらとは、明らかな違いを、私は感じたのだ。

     それは、本当に素直な「ありがとう」だったと、私は思った。

     世の中の、多くの人々が今、忘れてしまったもの。
     子供のような、素直さを、彼は持っている。
     一人の人間として、大事なものを失っていない彼がいることを、私は知った。

お客の無い時が流れた。
ふと、妻が「お客さんが来るまで、何かあなたの昔話をしてよ。」と、言ってきた。
   
     私は、昔を辿り、幾つかの体験の話をすることにして、お客を待った。

何時しか、時は22時を過ぎ、アーケードの灯りが落ちた。

     「どうやら、今夜のお客さんは、オレだったってことだな。」

妻は、「話の途中から、私もそんな気がしていたわ。」と、笑って言った。

店じまいを終えて、帰ろうとした時、妻が「おやすみなさい。」と、彼に言った。
     
     私は、ハッとして振り向き、「おやすみなさい。」と、ペコリと頭を下げた。

彼は、ニッコリと笑い、何度も頷いた。
交差点で振り向くと、まだ彼は笑顔で、私達を見送ってくれていた。

     その笑顔は、鹿児島で寝たきりの、父の笑顔と重なった。
     世の中の、すべてを見通しているような、
     そんな目をした、あの父の、素直な笑顔だと、私は思った。


北大路烏丸を背に、妻と歩く紫明への道は、ひんやりとした、心地よい夜風が吹いていた。

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