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堀川通りの風に吹かれて
2008/06/30(Mon)
この春の旗揚げ以来、北海道から沖縄まで、多くの知人から励ましの便りを、頂いた。
皆それぞれ、持ち味に溢れ、手紙・電話・FAX・メールなど、様々である。
彼らの存在が、私にとって大きな力の後押しと、なっている。

今日の昼下がり、自転車でポスティングに出掛けた。
京都の昔ながらの街並みを抜けると、堀川通りにでた。
10軒ほどチラシをポストに入れた先で、70代の女性がひとり、家の前に立っていた。
私は自転車から降りて、彼女と挨拶を交わし、チラシを差し出した。

彼女は、チラシに眼を通した。(高齢だが、裸眼でもタイシタものである。
「何のチラシかいな?服用て書いてあるけど、クスリかいな?」
    
    「クスリじゃなくて、私らとお話されると、胸のあたりがスーッと,しますよって意味です。」

「なんや、6000円? こんなはらえんなぁ」

    「路上で話の場合は、タダです。今んところ。よろしくです。」と、言い立ち去ろうとしたら、
背中越しに、彼女が語り始めていた。私は振り向き、話を聞くことにした。

「私な、主人が亡くなってから、すっかり淋しゅうなってしもうてな」
「私もな、身体があちこち悪うなってな、すっかり痩せてしもうた。」
     
    (たしかに、痩せている。でも背筋は、まだまだ真っ直ぐである。)

そのあと、彼女は堰を切ったように、自分の家族の事に始まり、
通院先の、医者やクスリの不満やらなにやら、話し始めたのだ。
私といえば、切れ間のない彼女の話を、聞いているだけで、暫らくは、

    「うん、うん。 はい、はい。」だけで、精一杯だった。

「私な、やっぱりな淋しゅうなってな。」のあと、今度は孫たちの学校の問題やらなにやら。
今度は、私の話題も少しは、彼女の話に織り交ぜて、会話は続いたのだった。

「鹿児島の男にしては、あんさん、ようしゃべるなぁ。」

    (私は殆んど、聞くばっかりでいたのに、彼女には私は、おしゃべりになっていた。いやはや。)

彼女の腕時計の針が、目についたとき、事務所に戻る時間になっている事に、気づいた。
二人の会話は、50分に及んでいたのに、彼女も気づき、

「すまんなぁ、あんさん忙しいのに長い事話して。」と、彼女は言い、私に気遣った。

     (私は、少し焦りはじめた。しかし、気になる彼女の言葉があった。今、言わなければ!!)

     「お母さん、すみません。私の母でもないあなたに、
                    失礼ながら、"お母さん"と、呼ばさせてもらいます。」

彼女は、「いいですよ」の、笑顔で頷いた。

     「お母さんは、先立たれたご主人に、私のこと見守っていて下さいと、
      日々、拝んでいるって、言ってましたよね。」
     
     「ご主人の、姿は見えませんが、いつでも、お母さんの傍に、いらっしゃいますよ。」
     
     「私は、これまで大切な家族や友人たちを、何人も見送って来ましたが、
      彼らは、いつでも私の傍にいると、思っています。」

     「私の、辛い時も、うれしい時も、誰にも見られたくない恥ずかしい姿さえ、
      いつも彼らには、バレバレなんだと。」

彼女は、笑い出した。
     
     「こんなことを言うと、怖がる人もいますが、いつも私は、その中で生きています。」
  
     「淋しいと、思っているのは、お母さん自身が自分で、創っているだけ。だから、
      ご主人が、いつもお母さんの傍に、いらっしゃると思えば、淋しくは無いはず。」

彼女は、胸に当てた手を撫で下ろし、
「そやねぇ。あんさん、いい事いうし、感じええなぁ。」

私は、彼女のスッキリとした、笑顔を見た。

「あんさん、がんばりぃや。」の言葉に、私は
     
      「ありがとうございます。」と、一礼して堀川通りの、心地よい風の中に、自転車を走らせた。

      
      少年の頃、頭上の星空を見上げ、ひとりぼっちの淋しさと、怖さを感じた。

      今の私には、それらは一つも無い。

      なぜなら、私はいつも、これまでに出会った人たちを、感じているからである。  
 

      「孤独やさみしさを、癒してくれるのは、いつもお互いの存在なのだ。」            


追記  11月27日
この記事をアップしてから、暫くして気づいた事を、書かないままにしていた。

「淋しさ」「憎しみ」「罪悪感」・・・と言った感情は、すべて自分自身が作ったものだ。
自分の周りに起きている「現象」に、自分が勝手に反応して作り出したものが「感情」
作り出したのが、自分なのだから「壊す」ではなく、もとどおりの何もない状態にするのも
出来るってこと。「癒し」・・・では、「治し」にはなりえないのである。
「苦しみ」も・・・自分が作り出したものなのだから・・・・。
周りに居るものたちに出来ることは、・・・ただ「お手伝い」まで゛ある。


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映画「コンタクト」を見た PARTー2
2008/06/26(Thu)
    前回のブログでの、書き足しである。

ドラムリン博士の爆死から数日後、エリーはスポンサーのトップから、
なんとマシーンがもう一つあることを知らされる。

今度は、エリーが乗る。
計画通りに、マシーンは作動した。
エリーは、ポッド(球体カプセル)に乗り、マシーンによる光の中へ。
ワームホールと呼ばれる、様々な時空間トンネルを、移動して行く間、
スピードや激しい振動からの恐怖と戦いながら、
「私は、大丈夫」と、管制塔に向けて言いつづける。
しかし、それまでよりも一段とスピードと振動の激しさは増し、
エリーの恐怖心は、極限へ。

委員会で、「私は、神を信じない。」と、言い切ったエリーが、
「たすけて、神様」と、言ったのだ。
次の瞬間、前方から飛び込んで来た人の姿は、エリーと同じ姿をしていた。
それは、一瞬の出来事だった。

    この事が、何を言いたいのかは、とても判りやすいシーンである。
    恐怖心は、エリーが作ったものだ。
    と、いうことは・・・
    その恐怖から、助けられる神がいるとしたら、
    それは、エリーしかありえないのだ。
    作るのも、無くすことが出来るのも、自分ってことである。
    
    私は、あの言葉を思い出す。
    30代の中頃から、不安や苦しみの時、
    自分に対して、「だいじょうぶ! 大丈夫!」と、言い続けた。
    そして、いつも大丈夫だった。
    
    もし、「大丈夫にならなかったよ」と、言う人に会ったなら、
    私は,言う。「大丈夫になるまで、言い続けましたか?」
    
    「大丈夫」のご利用は、計画的に。・・・である。


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映画「コンタクト」を見た。
2008/06/23(Mon)
久しぶりに、ビデオで「コンタクト」を見た。
主演は、私の大好きな女優のひとり、ジョディ・フォスターだ。

主人公の電波天文学者エリーナ"エリー"アロウェイ博士は、
子供の頃から天に瞬く星々や、宇宙への関心を持っていた。
また、ある答えを求め続けてきた。

「なぜ、我々はここにいるのか? 我々はいったい何者なのか。」

    私は、宇宙への関心はなかった。
    しかし、子供の頃よく夜の暗闇の中で、頭上に広がる星々を真っ直ぐ見上げていた。
    星々の中に吸い込まれて行くような怖さを感じると、慌てて家の中に逃げ込んだものだった。
    その時の本当の「怖さ」は、宇宙空間に「ひとりぼっち」になることだった。

科学者としての彼女の研究は、学会からも馬鹿にされ、
数々のスポンサーからも相手にされず、
やっと、スポンサーが現れたら、学会からの圧力が掛かってきた。
残り3カ月で、プロジェクトが閉鎖される苛立ちの中、
ついに彼女は、宇宙からのメッセージをキャッチし、
すぐさま、そのメッセージを、世界中の研究所に送信した。
これにより、米国だけでなく世界を挙げてのプロジェクトとなった。

    私は、これまでの数々の旅先で、様ざまな分野の素晴らしい芸術家たちと出会った。
    私は彼らと、会話を重ねた後に、笑いながら「ホントにバカですね」と言ったら、
    彼らはなんともうれしそうに、笑顔で頷いていた。
    私の言った「バカ」とは、最大級の褒め言葉だと、わかっているのだ。
    彼らの生き方から見えてきたことは、
    「自分の思いに本当に素直になって、行動しつづけると必ず目標に辿り着く。
                     実はこの事が目標に辿り着く、いちばんの近道」ってことである。
                  

宇宙からのメッセージは、暗号であり解読すると、あるマシーンになった。
未知の宇宙に行ける可能性のある、人間がひとりだけ乗ることの出来るマシーン。
たった一人のパイロットを決める委員会の最終選考で
全世界の人々の見つめる中で、「神を信じるか?」の問いに、
科学者エリーは、自分に正直に「私は、神を信じない」と、言った。
もうひとりの科学者ドラムリン博士は、自分を偽り、「私は、神を信じる」と言った。 (きったねー )
エリーは落選し、ドラムリン博士が選ばれた。

    このシーン、「正直者は馬鹿を見る」って、言わんばかりの、イヤな感じである。

ドラムリン博士の搭乗前の、エリーとの会話。
「エリー、君も不公平だと感じていることはしっている。大いに不満かもしれん。」
「私だって、公平な世の中になればいいと思っている。」
「君が委員会で見せてくれた、あの誠実さが利用されずに、尊重される世の中にね。」
「しかし、現実は違うんだよ。」    ( しかし・・・は、言い訳である。)

「おかしいわ。」
「私たちが、決心すれば世界は変わるわ。」

    私は正直、エリーのこの言葉に、同感である。お金の世の中も〝これ〟で変わるのだ。

ドラムリン博士は搭乗し、エリーは管制塔へ。
全世界の目の前で、ドラムリン博士は、宗教家リーダーの自爆テロで、
マシーンもろとも、あの世へ。     
もちろんエリーも、しっかりと見ていた。    ("まさか"のシーンだ。)

    一般的には、「正直者は、馬鹿を見る」って、使われているこの言葉の、    
    本当の意味は、「正直者は、馬鹿者(自らをいつわる愚か者)を見ることになる。」である。

    再び、「私たちが、決心すれば世界は変わるわ。」    
    エリーの、この言葉がじつにいい。
    今のこの世の中に、そのまんま言える事。
    皆が、おかしいと思っている事を、「せぇーの」でやめれば、
                         なんの問題も、ないってことである。
                         おかしな現実は、なくなると言っているのだ。 えらい!!

    本音を言わず、「ごまかしの、この世の中」
              おかしな現実を、作ったのは私たち一人、一人。 

    ドラムリン博士と、同じように知ってて「ごまかして」生きている人々の、
              よろこびの「ツケ」は、あのシーンになるってこと。・・・・・( 自爆 )

    二人の会話と、マシーンの爆発シーンは、そのことを言っているのだ。
   
              わたしは、「ごまかさない!!」
                      
              熱くなった夜は、キリッと冷やした焼酎を一杯。  
                                             ( つづく。)

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友の心配
2008/06/20(Fri)
青森の友から電話がきた。
  
4月、引越しと開業のあいさつを兼ねて送った葉書と、
先週送った6月末のTLC匠・東京セミナーの案内を読んでの電話だった。

懐かしい声に、「久しぶりだねぇ元気ぃ?」と、挨拶を交わした後、
弘前ではもう、ねぷた造りが始まっている話を聞いた。
彼からの「ジャッキー、今年はねぷた(祭り)に来る?」の問いに、
私は「今年は開業した仕事を優先するから、ねぷたには行かないよ」と答えた。
彼は、軽く笑いながら「そっかあ。 でさぁ、ナンの仕事だぁ? あんまりよくわかんないんだけど」

私は、大まかに仕事の説明をした。

すると彼は、「その仕事でさぁ 食って行けんの?」
私は、「うん。この仕事を必要としている人は、今の世の中には、いっぱい居るからね」と。
彼は、何故この仕事を始めたのかを聞いたので、
私は、長年「ねぷた」に参加して学んだ事があって、
そのことを、私が今の世の中に言うことだと、わかって始めたことを伝えた。

彼は、「他人にアドバイスとかして、金を貰うってぇのは どうかと思うけど」と言った。
私は、「はぁ? 何言ってんの?」( オイオイ、である。)

さっきまで、私が仕事で食べて行けるかを心配していた彼が、
既に開業し、4人のスタッフを抱えた経営者の私に、
仕事をやめろと言ったのと同じである。


実は先月も、静岡の知人と同様のやりとりをしたので、「やれ・やれ」である。
(因みに、知人の「心配」の奥にあったものは、「お金のことで自分に迷惑な事が来ませんように」
つまり、私の事など結局「どうでも良かった」のである。

これまで私は、幾度もお金に困った事がある。
しかし、友人やクライアント、自分の親にさえ一度たりとも借りた事は無く、
本当に本当に苦しい時は、「だいじょうぶ・大丈夫」を、
毎日、不安と戦いながら「大丈夫」になるまで仕事帰りのクルマの中で唱え続けたのだ。

彼は、言った。
「心配なんだよ オレは・・」

「心配って 何が?」

「あんたがさ、金が無くなったら会いに来れないじゃない」
「友達がさ、居なくなっちまうのは淋しくなるじゃない」

(要は) 「淋しくなる」が・・・・彼の本心であった。

私への「心配」は、私の生活や仕事の事ではなく、「心配」の奥にあったものは、
彼自身の「淋しくなるのが嫌だ」である。

私は
「じゃあー何かい? もしオレが、金が無くなってスッカラカンになったら、会えなくなったら、
もう友達じゃあ無くなるってこと?」
「オレは、そうは思わない」と、彼に言った。

彼は、「もういい」と云わんばかりに
「ジャッキー あんた、自分のことばかりいってるじぁ」と言い残し、電話を切ってしまった。

私にとって「友」とは、仲良くしても 喧嘩しても
             嫌われても 嫌いになっても
             離れていても 会えなくても
             そして、友がこの世を去ったあとも      「友」は、「友」である。

昨年の夏、東北地方の山間の駅で一人、野宿をした夜、
私は彼に電話して、いつしか「愚痴」をもらしていた。
彼は、私の腑外なさに「馬鹿くせぇ」と言って、電話を切った。
その夜私は、自分が変わっていくのを感じた。(素直になれば・・・)

ひと月たった頃、私は彼に電話をかけた。
あの夜の詫びと、おかげでスッキリ目が覚めたことを伝えた。

ねぷた祭りの頃に、今度は私から電話をかけよう。

彼と、また会える時が楽しみである。

もちろん、いつもの笑顔で。

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Hさんからの電話
2008/06/16(Mon)
昨夜、23時近くにケイタイに着信があった。
画面の名前を見て、さらに先方の声を聞いて、私の声は、おのずとはずんでいた。
電話の主は、TVカメラマンのHさん(60代)。
3年前、東京・文京区小石川のやきとり屋にて知り合った実にカッコイイ男である。
私の職歴が、テレビ・舞台・イベントの美術・大道具・照明といった、同じ業界であることに加え、
共にまつり好きのこともあって、初めての晩から会話に火がついた。
彼は、三社祭の神輿(みこし)かつぎが大好きで、
私は、弘前ねぷたまつりに長年はまっていた。
その後も、互いに夜遅い時間帯になることも幸いして、
人生の先輩の数々の話を聞かせてもらえた。

私はこの春、京都にてTLC匠を開業して、知人に挨拶のハガキを出し、
先日は、6月末の東京・渋谷の「こどもの城」でのセミナーの案内も送った。

彼が言うには、4ケ月間のアフリカ出張から帰国したばかりで、今宵は、
若い映画監督と熱く語り合って来たとのことだった。
その彼からエネルギーをもらったと、気持ちよく帰宅してすぐに、
私からの2通の便りを手にし、目を通し、そのまま電話を掛けてくれたのだった。

私の活動を、とても喜んでくれた。
「しかし、よく踏み切ったな」との言葉に、
「だって、テレビで様々な出来事があると、アナウンサーも、
評論家・コメンテーターも、同じことを口にするでしょ」
「なんとかしなくちゃ」とか「誰かがやらなきゃ」とか。
「はぁ?」「何それ!!」「あんたがやれよ!って思いますよね」って言ったら、
「そうだ、その通りだな」と返事。
「わかっているヤツが何もしないで言ってるだけ、わかっているのに、言わないヤツもいっぱい。
だから、私がやることにしたんです。」
「先に始めた私に、連中は文句が言えないはずよね」
私は、ついつい熱くなって語っていた。

2年前の春、Hさんから、結婚祝いの宴を谷中の夜桜にて開くとの申し出があったのに、
お受け出来なかったことと、そのままにしてしまったことを、私は詫びた。
あの頃、妻とケンカが絶えなくて、つくり笑いでは、皆さんの前に顔を出せなかったこと、
今は、数日前にやっと仲直りが出来て、仲良くやっていることを告げると、
「ああ、そうだったのか」「カミさん大事にしろよ」と言った。

Hさんは、京都出身だった。
「私が京都に行ったときは、又、一緒に酒を飲もう」
「その時は、ぜひ若いカントクさんも一緒だといいですね」
彼は、笑いながら「うん、そうだな」
「頑張れよ、永山君、じゃあまたな」「カミさんによろしく」
「ありがとうございます」「Hさんも、頑張って下さい」

電話を終えて、なつかしい声に励まされ、ここちよく焼酎をおかわり。


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