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「俗に、余世というが・・・・」
2011/06/29(Wed)
俗に余世というが、五十の齢となった今の私なりに考えてみれば、
私にとっての余世とはこの世に肉体を以って生まれた時からであったと云える。

やるべきことを先伸ばしにし続け、やり残していたことをやるために生まれた。

忘れていた本来の自分を思い出すために生まれてきた。

離れ離れになっていた魂レベルの仲間たちと再会するために生まれてきた。

封印され続けていた事実と向きあうために生まれてきた。

視点を換えれば、私が封印した側の者であるが故に、「お詫び」として封印を解く機会を授かった。

不可思議ずくしの出逢いと体験は今も続いており、不可思議ではなく「あたりまえ」であったと考えれば、
私の人生のすべての出来事が「なるほど!」となる。

私ひとりでは、この一生ではあまりにも困難な「解封」である故に、「類は、友を呼ぶ」という言葉どおりである。
互いが手の届かない部分を補い合える「魂レベルの仲間との輪」が続いているのである。

私が人生に於いて、導かれるが如く旅を続けたいという欲求に包まれている理由(わけ)である。

これまでのシステムが崩壊へと向かっている今、「気づく」から「新たに築く(元に戻す)」流れであることは、
目に見える社会の事象が証明している。

「人は石垣、人は城」とは、戦国武将のひとり甲斐の武田信玄である。

人と人の出逢いが「築く」ことへの一番の近道である。

これが今の、私の「答え」である。

「答え」は、いつも伝播していく。

想いというエネルギーとは、本来このために使うモノである。

世はまさに幕末から戦国期まで重なり、いづれ平安期へと時代を重ねる時節を迎える。

戦を終わらすには、皆が己との戦を経て「友」と成すまで己に詫び、

お詫びの証しを行動として示し続けるのみである。


我が号令は、「者ども、出逢え!」である。




かつて三たび、笹子峠を越える旅をした。
「風林火山」と「レッドクリフ」・・・・・キーワードは、いつも目の前にある。



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「拓・辞書」・・・3 
2011/06/21(Tue)
私のツイッター「拓・辞書」の書き溜め語録の第3弾である。

「言葉には、チカラがある」
広辞苑でも知ることの出来ない言葉の真意が、「ここ」にある。

「拓・辞書」とは、「拓、自書」による「拓、時書」である。

今回は、2011年5月29日から(ナンバー41~60まで)


●2011/05/29 21;48・・・41
肉体レベルにて、誰もが生まれたらイヅレ必ず「死ぬ」のであるから「死を恐れる」とは本来おかしな思考である。
静かに増加している突然死に感染しないワクチンはないが、あったら要注意である。
手を出したら間違いなく「人体実験」のサンプルにされる。

●2011/05/29 23;00・・・42
「善人づら」でいたい者は、常に誰かを「悪人」にしたがる。
悪人扱いされている側にとって「善人づら」の者とは、悪人より太刀のワルイ偽善者であることがバレている。
因って「何の罪のない人間」などいない。
「会うと老」の世界では、ジョーシキである。

●2011/05/30 00;50・・・43  
「ふた」をしたのは自分。蓋をするのは、見たくない見せたくない自分が生み出した「闇」である。
蓋の上に素晴しいと思い込もうとするものを幾重にも覆い被せても、蓋と蓋の中の闇の存在は在り続ける。
闇と向きあいその時の自分を「許す」。蓋の中には人生の肥しがある。活かせ

●2011/05/30 02;52・・・44
自分の本心に正直な生き方にて、大勢の中で孤立する事態を招いたとき、始めは苦しくとも揺るぎない姿勢にて信念を貫いてさえいれば、近しい思いを抱いている者が必ずいる。あとは一人、二人と味方になる者が増えることしか起きない。
何故ならゼロからは増えるだけである。

●2011/05/30 03;16・・・45
原発事故にて、「炉心」がアラワになり、責任者の「ロ、心」もアラワになった。
これまで隠し通せていた事が露呈する「時の波」は、巷の人間関係の中でも本音がポロリ飛び出すとなる。
ただし、自分の本当に抱いた想いかどうかをチェック出来ねば、諍いを招く事態続出。

●2011/05/30 03;40・・・46  
俗に、「目は、口ほどにモノを云う」と言われているが、正確には、「目ほど、モノ云う口はない」である。

●2011/05/30 11;40・・・47
「日本昔ばなし」にて、「浦島太郎」は、老人となった翁(おきな)の話。「翁話」と書いて「オキナワ」と読む。故に、「沖縄」である。沖縄とは、琉球・・龍九・龍宮(龍宮城)=「首里城」浦島は、「ウラシマ」にて、裏島となり「りとう」故に沖縄は「離島」である。
これが現実である。

●2011/05/30 11;53・・・48
被災地とは、後付けにて地名が「暗号」となっている。「型示し」である。地名とは、コードネームである。
合併とは、「封印」する行為である。時節は、あとづけレベルの「暗号解読」では、単なる「お遊び道具」である。
メッセージは途絶えておらず、「解毒」と致す。

●2011/05/30 12;40・・・49
「飽くなき戦い」とは、「悪無き戦い」のこと。
善の親玉にとって悪が無くなったら、残りの善の中に悪を作り出し、新たな「善と偽善の戦い」はスパイラルへとなる。
最後は「我こそが最善」と名乗るために最も愚かな「偽善の戦い」。これは、武器いらずの言霊の戦(いくさ)。

●2011/05/30 13;10・・・50
本当に平和な世界とは、平和な状態があたりまえすぎて「平和」って言葉すら存在しない世界である。
日本人の多くは、自分の目の前が「戦場」でなければ平和だと思っている愚かな民である。
「我善し」の想いを隠し、心中は「内戦状態」である。「無い戦状態」が本来である。

●2011/05/30 13;56・・・51
「案ずるより、産むが易し」とは、表向きのカタリである。
権力者に近い者に限らず、あらゆる社会的レベルにて「案、有無より、ズルが易し」のやり方に手を染める輩が、「アンヤク」し続けている。
「ゲーム・オーバー」を待たずにやっていた事実(インチキ)は、炙り出される。

●2011/05/30 13;58・・・52
「適塾」とは、江戸時代の大坂にて蘭学者の緒方洪庵の塾。「おがた」とは、「御方」「公方様方と公家」である。
「緒」は、下駄の鼻緒にて二股。「こうあん」とは、公安にて公儀隠密。
近代日本と外国の二重スパイの養成指揮官。講議を受けた弟子の顔ぶれが、その証拠である。

●2011/05/30 14;24・・・53
「内閣総理大臣」とは、「無い! 隠そう! 裏蛇異人」である。
アルモノを隠そう(核装)とする裏には、蛇異人(イルミナティ)による洗脳がアル。
ただし、菅さんがどうかは不明である。テレビを点けると「亡国のイージス」。
日本国の実態を暴露する「予告メッセージ」である。

●2011/05/30 15;00・・・54  
「怒り」とは、上げれば乱す。舟も「碇・いかり」を上げれば、舟は揺れ波に流される。
「イカリを降ろせ!」である。「イカリ」を上げれば「感情」は大揺れ、「艦上」も大揺れを起こす。
「最醜」にならぬヨウ、「最終」は「アンカー」次第である。怒りは貴族的より鬼族。

●2011/05/30 15;00・・・55
「ヤマトタケル」とは、酒に酔い寝所に眠るクマソタケルには、女人姿で寝込みを襲い闇討ち。
イズモタケルには、湯に入る間に剣を入れ替え戦い挑み騙し討ちにて手柄とする。
白鳥伝説となった英雄の正体とは、「ブラックスワン」である。
目に映る「黒と白は、あべこべ」

●2011/05/30 15;01・・・56
「河は樽(ダム) 山と田、蹴るは、国壊も致しからずや」(永山拓美)とは、日本政府が日本列島にしてきたこと。

「ヤマトタケル」の黒羽と白鳥伝説にてウタを詠めば、
「仮羽は足る ヤマトタケルは 黒か衣も異(白)足しからずや」となる。
画し事と隠し事のトリックは、炙り出される。

●2011/05/30 16;40・・・57
走り始めてからずっと目の前に私の両目を真っすぐに見抜いてくる自分がいる。
それがすごく苛ついて気になった。(為末大)
私の場合は、大きな「ひとつ目」。私の背後から私の目を通して見ている存在。
かつて二度、ハンググライダーにて感じた「巨大なひとつ目」に、恐怖を覚えた。



●2011/05/30 16;56・・・58
「ヨイショ」とは、おべっか。「汚蔑稼」である。「酔い処」ならば、「居酒屋」。
調子に乗って「お銚子」も進めば「酔い」も廻り、「善いではないか」と成りては、最早「悪・善い」の区別もつかぬ頃と成る。
「酒の席」での醜態は、「避けのない関」にて責を逃るる術はなし。

●2011/05/30 18;20・・・59
相手が、あえて「信用しているよ」と云うとき、その奥には「裏切るなよ!」の想いが隠れている。
「念押し」=脅しである。本当に信用しているのなら、「出ない言葉」「無用の言葉」である。
即ち、言葉を受け取った側に対する「裏切り行為」である。

●2011/05/30 18;30・・・60
「花」の字とは、「サ」の下に「化」と書く。
「サとケ」にて「花」とするは、よほど「酒好き」の御仁にて作りし文字かと思われる。
「花見」とは、酒飲みにはモッテコイの好日(口実)である。
「花を愛で、女人と月を共に愛で、飲む酒の旨さよ」である。



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「拓・辞書」・・・2、である。
2011/06/03(Fri)
私のツイッター「拓・辞書」の書き溜め語録の第2弾である。

「言葉には、チカラがある」
広辞苑でも知ることの出来ない言葉の真意が、「ここ」にある。

「拓・辞書」とは、「拓、自書」による「拓、時書」である。

今回は、2011年5月28日から(ナンバー21~40まで)


●2011/05/28 13;21・・・21
「安全」の真意とは、「あん全」にて「あ」から「ん」までの「50音=すべて」のこと。本来は言葉で何をどのように表現しても同じ答え、一つの答えに集約、絞り込まれて行く。何故なら、元々、言葉はなく言葉の要らない世界である。
「安全神話」は崩壊。始めから無かったってこと。

●2011/05/28 13;35・・・22  イチローへの返信
@Ichiro_Meigen 確かに。メッセージとは、「気づく」のために浮遊している。「築く」ためではない。「きづく」は、「基づく」・・・「モトヅク」にて、元モトの状態に集約される。目にするモノは、枝葉ゆえに感じるモノは共通にて「シンプル」

●2011/05/28 13;45・・・23
「コウモリ」とは、ケモノの仲間に入ろうか、鳥の仲間に入ろうかと、「どっち、どっち」を繰り返し、ケモノと鳥が仲良くなったら取りつく間もなく「ノケモノ」になった。「非」を被る(こうむる)ことを避けたので、「陽を避ける」ことになり、「被る」からコウモリという。

●2011/05/28 13;50・・・24
「真贋」を見抜ける「真の目アカシ」とは、実在する「答え」=「長谷章宏」である。「まがいもの」とは、フェイク、コピーにて「似せモノ」故に、「ニセもの」である。カタリヲニセタ「真外者」は遊び過ぎて「心眼」も曇りた輩である。「魔飼いモノ」「魔界者」のこと。

●2011/05/28 15;25・・・25
「聖書」とは、所詮、キリストがリアルタイムに残した書にアラズ、「口伝」=「伝言ゲーム」にて解釈のレベルが異なる幾人もの弟子たちの「タワゴト聞書(分書)」である。キリストの意に背いた書が「背遺書」。キリストに濡れ衣を着せた書が「所為書」である。「初栓」は封印した証し。

●2011/05/28 15;40・・・26
「心配事」とは、妄想ゲームのひとつである。「心肺機能」とは無関係に「心配機能」があると洗脳されたが故に、「心配ゲーム」を止めないだけである。「止めまい」とするから「病めまい」。即ち、「病い」「めまい」という症状となる。
「やめる」ことの、強制執行は「心肺停止」。

●2011/05/28 16;16・・・27
平和運動を「続けたい」者たちにとって「争い」が無くなると存在理由が無くなる。「反対の反対(真意)は、賛成なのだ」である。その事を「活動家のトップ」は判っている。知らぬは、活動に没頭し狂い乱舞する「その、徒」である。「会議は踊る」は1919年。「壊儀は踊る」戦いの踊り。

●2011/05/28 16;47・・・28
「S・F」とは、サイエンス・フィクションのこと。「今」を基準にする視点に立てば、未来も過去も「永遠(とは)」の世界。PCのキーにて「とは」と打てば、「S F」である。「今は、昔。昔は、今。」「未来も、今」だが、確認出来たのは「同時多次元の今だけ」である。科学のコタエ。

●2011/05/29 10;04・・・29
「見たら信じる」と言う者に限って、いざ目の前にすると「信じられなーい」と我が目さえも疑う言葉を平気で口にする。「そんなバカな」という輩である限り、貴重な機会を「見ず」から失うので「自ら」をも失うはめになる。恐ろしいのは、そのことに気づいていないこと。

●2011/05/29 10;10・・・30
科学的に証明されない理由での否定とは、自らの脳力が低レベルであることを自白していることすら気づかない低レベル。科学者が、「神」の存在を否定する真意とは、認めたら科学者としての仕事を失うと思い込んでいたいからである。要は、「遊べなくなる」のが嫌なのである。

●2011/05/29 12;09・・・31
一般的に「ありえないこと」と言われている現象とは、のちに目にする事態を迎えるために「ありえたこと」に訂正される。データによると、幾度この事実を体験しても「訂正」を怠った場合、レベルアップした「ありえない事態」を自ら招くことになっている。

●2011/05/29 14;40・・・32
屋表に立たない「物知り」の症状とは、解っている者に教えを乞いながら、「それは、おかしい」と述べた場合、既に「解っていた」という事。「解らないままにして欲しい」という「解りたいよゲーム」にて遊んでいるのが、中途半端な自称「物知り」である。「キチガイ」である。

●2011/05/29 14;53・・・33
この世にて「水」は、イノチの源(水基)である。「自ら」とは、「水から」である。自らウミ出した「心の闇」とは、目を背けた「見ず、の世界」である。「見ず」も溜まれば決壊の時を迎える。「見ず」に流せば「避け」であり、「避け」はウミの「見ず」と共に生れしモトへ「訴状」する。

●2011/05/29 15;00・・・34
先の記事は、「大津波」の正体である。大津波が恐ろしく「真っ黒」な姿をしているのは、心の「闇の色」である。防波堤とは、「理」と引き換えに「利」を求めるために「築いた結界」だが、「理」に敵うモノなどない。「決壊は、気づく」ために「理のシステム」が作動したアカシ。

●2011/05/29 17;30・・・35
「押尾学事件」とは、「おしお(を)、まなぶ事件」にて、「生死(おし)を、学ぶ事件」である。「ふざけて」いるような字例だが、多くの日本人が「負避け過ぎた」社会をいっこうに止めないので、「いのち」の本質に関するメッセージが世に出ただけである。「理」の発動メッセージ。

●2011/05/29 17;58・・・36
東日本大震災以降、日本国政府はその「対処」に悩まされている。昨年の夏、日本列島が記録的猛暑「大暑」に悩まされたのは、これまでの常識では「対処」出来ない事態が起こるという「理のメッセージ」が発せられていた。後手後手の「あとづけ」である。

●2011/05/29 18;40・・・37
「名言」とは、多くの場合、名言を残した者は、聞く、或いは目にする者に対し「明言」を微妙に避け、意図的に相手の感性に委ねるという耳触りのよい「逃げ道」を用いた言葉である。受け取る側の解釈が異なる「名言」とは、「迷言」である。真意は本人確認が一番確実である。

●2011/05/29 20;05・・・38
「あべこべ」とは、「べこ(牛)、ベア(熊)」である。牛は、「南天・天の河・7月7日」。熊は、「北天・北斗・6月6日」。南北は対極。7月と6月は折り返し。熊の「胃」。牛の「タン」。胃とタンで「異端」=「あべこべ」の存在。

●2011/05/29 20;43・・・39
誰かを否定するのは、「肯定する自分を」自分が否定したいだけである。誰かを許せないのは、「許す自分を」自分が許せないだけである。相手を信じられないのは、「相手を信じる自分を」自分が信じたくないからである。そういう自分を素直に認め、「自分が」止めればいいだけである。

●2011/05/29 20;55・・・40  名言ナビへの返信
@meigennavi 吉越氏の言葉だが、国民全員のレベルを確認した者はおらず、試しにやってもらったデータもない。「できない」は、やりたくないの言い換えである。日本には「出来る人」が実在する。「答え」は、長谷章宏である。QT その国民のレベル以上の政治はできない(吉越浩一郎)



次回へと、続く。


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「拓・辞書」開始。
2011/05/30(Mon)
この記事は、私のツイッター「拓・辞書」の書き溜め語録である。

「言葉には、チカラがある」
広辞苑でも知ることの出来ない言葉の真意が、「ここ」にある。

「拓・辞書」とは、「拓、自書」による「拓、時書」である。

先ずは、2011年5月26日のスタートから(ナンバー1~20まで)

●2011/05/26 2:05・・・1
「言葉には、チカラがある」
日本の国は、「言霊の国」。言葉の奥に隠された「真意」とは、身近なところにある。言葉の真意を知ると、世の中の逆さま・マヤカシが炙り出される。
「拓・辞書」とは、広辞苑でも知ることの出来ない言葉の真意である。

●2011/05/26 2:25・・・2
自分で「自分の事を語る言葉」の語尾に「・・・かも」だの「・・・かなぁ」だの、ワザワザ曖昧な言葉を付けるのは「自分を見失う」モトである。自分を「見失う」から、「身・・・失う」のデス。重症の感染者の治療は、お早めに!!・・・である。

●2011/05/26 2:55・・・3
「リサイクル」の真意とは、「利・再来る」ではない。自然界の「理・再来る」が大震災として発動された。今、先ずは自分から自然界の理に沿った本来の生き方に「理・セット」が必須である。サッサと「理・セット」すれば良かったのに。急げーっ。「リ・災来る」は、ご免である。

●2011/05/26 22:18・・・4
先ごろ、北方領土を視察した韓国の国会議員が語った「お笑いぐさ」の真意とは、藁とイグサは、「日本の畳」=「日本国家」。「汚・藁、イグサ」とは、目先の情勢に囚われ、使いモノにならない日本国のあり様を、畳に引っ掛けた「カケ・×」言葉。意図はなくとも「糸」は見える。「愛、四季・シマ」に戻れ。

●2011/05/26 22:26・・・5
「畳・たたみ」とは、本来、「田の民=楽園の民」である。明治以降、さらに戦後、「×」することを「善し」とする洗脳教育を受けた日本人は、自ら「田民」を忘れ呆け「多民」の多民族国家と成るまで「放置した日本、法治に至らず、呆痴に至り、多分けの極みが現罪(在)。



●2011/05/26 22:35・・・6
「かいたい・しんしょ」とは、「解体新書」。幕末の蘭学者、杉田玄白・前野良沢らが、どうしても「買いたい新書」として購入し、「書いた・医師ん所」なる作業場にて翻訳した本である。医新・医真・医針に大きな足跡を成し、蘭学は維新への影響を強める。

●2011/05/27 11;00・・・7
「大津波」とは、大津の波にて、「琵琶湖の浪」を器ごとひっくり返すほどの水が「大津波」である。「湖(みずうみ)」とは、本来は「水、産み」である。日本の民は、自らの不都合とこの世の真実に蓋をし「見ずの膿」を溜め続けた。ウミ出せば元に戻る「水の世」。

●2011/05/27 11;05・・・8
「藁(わら)にもすがる思いです」の言葉を口にする人の、その顔は既に「笑えなくなっている」。即ち、「藁、得なくなっている」である。「すがる藁」があったとしても、「すがる思い」が「素軽、重い・デス」では、藁もブチ切れる。要は、素直な「童心」に戻るだけ。

●2011/05/27 11;55・・・9
「リクルート事件」とは、「利に、狂う徒」が起こした事件。就職大氷河期、「就活スーツ」は「利・狂う徒スーツ」である。「利」を喰い尽くし「理」にバツした者たちの目に「理」の現象として、「利は、終鳶」を迎える。「理」は狂わず、狂うは愚か者のタワゴト。

●2011/05/27 12;10・・・10
「はんかくさい」とは、蝦夷地の言葉、津軽の言葉にて、「バカ臭い」という意味。「半・覚醒」とは、本来の自分へ戻る旅の途中。「汗・覚醒」とは、王(マ王)としての目を醒ます。「覚醒」とは、元に戻ること。「反・覚醒」とは、時節からして自殺行為である。



●2011/05/27 12;49・・・11
「問題を解く」ことに明け暮れている人を、今まで「エリート」って呼んでいる。「エリート」の地位を維持するには、「問題」が存在しないと困る人たち。
「答え」があるのに、見ないようにしているのが「エリート」の正体。やっていることは「まとも」ではない。

●2011/05/27 14;45・・・12
本来、「人間は、間違いを犯すモノ」ではない。「間違いを犯すモノが、人間の姿をしているだけ」である。間違いを改めず、同じ間違いを繰り返すモノが、「言い訳として」人間の振りをしているに過ぎない。「間違いの定義」が存在する限り、全員同罪にて共犯者である。

●2011/05/27 15;45・・・13
豊臣秀吉が、「バテレン追放令」にてキリシタンを弾圧したのには、訳がある。
キリスト教徒が、「キリシタン」と呼ばれたからである。豊臣氏の家紋は「桐」であり、「豊臣氏=桐氏」。「キリシタン」とは、「桐氏反」のヒビキにて豊臣に反する集団を意味していた。

●2011/05/27 15;51・・・14
徳川家康とは、「徳川イエ(ヤ)ス」と名乗る「説く側イエス(キリスト)」である。
「キリシタン弾圧をした理由」とは、イエズス会の教えはキリスト自身の教えが「改ざん」されていたからである。「云えず、素改」と名乗りハッカクした。
家康の実母には、蝦夷・アイヌの血統。

●2011/05/27 16;05・・・15・・・「名言への返信」
浅利慶太氏の名言では、「才能があるとは、なみはずれた努力ができること」
「拓・辞書」によれば次の通りである。才能とは、再び能力が覚醒すること。本来は、「再能」であり努力するのは思い出すまでのカリキュラムがインプットされているからである。誤作動の修正時には、インプットされた「再、キック」が作動する。


●2011/05/27 16;50・・・16
裁判官とは、「人は、人を裁けない」ことを知りながら都合により、「人としてやってはいけない仕事を、十分知った上でやり続けている人である」。最も「裁かれることを恐れる人」は、「最も裁かれない立場」の仕事を選ぶ。金融崩壊と社会の崩壊を最も恐れる部族である。

●2011/05/27 18;28・・・17
日本国は、2011年3月10日、ミズカラ「最後の審判」として「裁判の誤審」が露呈することの恐れに負け、国民の目に触れないように「結審」した。故に「3.11」の大地震・大津波・原発事故とは、「封印」するために仕組まれた「私情?最大の作戦(人災)」である。

●2011/05/27 21;44・・・18
「人は、そう簡単に変れない」とは、変わりたくない者の言い訳である。「変れる」のに、「変れない」と洗脳された振りをして、何らかのエサで「飼われたモノ」であり、金で「買われたモノ」である。それが、この社会の実態である。「ツケの清算は、「お早めに」・・・である。

●2011/05/27 22;19・・・19
名前とは、その人が生まれる前に、名づけ親になる人に予めテレパシーにて指定している。たまに、名づけ親の誤認と迷いに因って字が変更される。名前は、その人の性格を含め人生に関連する様々な「キーワード」が集約されている。
「暗号ずくめのコードネーム」である。

●2011/05/27 22;55・・・20
「名乗る」とは、名前の持つエネムギーに「乗る」ことをいう。「怠ける」とは「名負ける」であり、愚かにも自ら「名真蹴る」所業を続けると、「生、蹴る」ことになり、知らぬバカりに自ら「いのち」を保てず、「死を招く」ことになる。よく、憶えておきなさい。




「おつかれ」である。

時折、このように短編集としてアップするかと。

「ひとつのテーマ」での記事が、私の基本である。

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「点地想贈」・・・新燃岳噴火は、大地の狼煙
2011/02/04(Fri)
前回の・・・・・つづき、である。


今、私が知るこの世の中、この世界には「驚愕の事実」がある。

私は、日本人として生まれたのに、日本のことを「知らないまま」にしていた。
私は、この世に生まれたのに、この世の中の本当のことを「知らないまま」にしていた。

今の私なりに正しく表現すれば、「シロウトも、してこなかった」となる。
つまり、「頭無の、素人・ずぶの、しろうと」である。

私は今、この世界に対し私がしてきたことの愚かさを、「想い知る」時を迎えている。

「驚愕の事実」とは、いつも、恐ろしい出来事を招くことになった「原因」である。

「もっと早い段階で、知っていたら・・・」って、云われてもご縁である。
「もっと早い段階で、云ってくれたら・・・」って、云われてもご縁である。

覚者が、シツコイくらい云い続けても「聞いとらんかったもん( 者たち )」のタワゴトである。
覚者を、「素人扱い」し続けた者たちが使う「いい訳」の決まり文句とは、
「だって、知らんかったもん ! 聞いとらんかったもん ! 」・・・である。

テレビドラマ「ギルティ」の最終話では、
現在の日本人の「想い」に対する無関心さが如何に恐ろしいことかを「驚愕の事実」として描いていた。

「たった一人」の女性が抱いた自分勝手な「おかしな想い」が、やがて国家権力をも巻き込み、
多くの人々を「恐ろしい結果」へと導く「原因」となっていることを見事に描いていた。

「まさか、そんなことで・・・・・」とは、
最悪のラストを迎えた主人公が、「原因」を知り思わず口にした言葉である。
ゲに、人々が創り出している「おかしな想い」の恐ろしさである。 


では、本題に参る。

「天にツバを吐けば、自分に返る」と、云われてきた。

「大地にツバを吐けば、自分に返る」・・・ご自所為である。


地球が「生命体」であることは、もう知られている事実である。
日本列島が、その地球の一部分である以上、この大地とて「生きモノ」である。
私を含め大多数の日本人は、この「眠れぬ龍の背中」にて暮らしている。

大地が、「気」を放っている以上、ソコには「意識」「想い」がある。
大地は、人間とは違い、言葉を用いない方法で「意思表示」をしている。
大地は、人間たちが気づかないところで、常に人間たちの情報を得ている。

日本の大地と、日本人は目に見えない「意図」で繋がっているのである。


つまり、日本の大地は、我々の想いも行動も「筒抜け・お見通し」なのである。
何故なら、元々この世界とは、言葉の要らない「想いの世界」だからである。
本来の世界は、「想い」「気」によってコミュニケーションが可能である。

言葉とは、コミュニケーションの補助的役割を担っているに過ぎないのである。
自然界を見渡せば、容易にワカル話である。


日本の大地は、「ちゃんと、ワカルように」目に見えるカタチで意思表示をする。
「母なる海」である。「父なる大地」である。
日本の大地は、「父と、ワカルように」目に見えるカタチで「想い」を現わす。

私は、日常の生活の中の「見た、聞いた、感じる」という体験に於いて、何かしらのキーワードに反応するクセがある。
私が反応した「キーワード」には、時として「驚愕の事実」が含まれている。

今回、私が反応したのは、一月下旬の東京・秋葉原の「歩行者天国の再開」のニュースと、
その数日後に「新燃岳の活動再開」のニュースである。

この二つの出来事は、関連性を持っている。

日本人の発している「狂気」に対する日本の大地の反応は、これまでとは比較にならない程、スピードアップしている。

つまり、日本の大地が意図的に「緊急の警告メッセージ」を発したのである。

日本が本当に「ヤバイ」時期になっていることの現れである。


秋葉原の「歩行者天国」が中止になった切っ掛けは、あの「秋葉原通り魔事件」である。
狂気の沙汰は、「萌え」に沸き立つ狂気の地で起きた。

事件現場となった秋葉原は、「歩行者天国」から一変して「歩行者地獄」の絵図と化した。
つまり、この事件により、この世が「ニセ天国=地獄」である事実が露呈したのである。


「ニセ天国の再開」は狂気の再開であり、天国への道とは「真逆・まぎゃく」の方向にて、
地獄より下の「最下位」へ真っ逆さまだと気づかぬ日本人が「汚点徒さま」であることの証明となっている。

事件の真意も明らかにしないまま、「歩行者ニセ天国の再開」を始めたのは、
結局は秋葉原ブランドの「目先の金、目当て」である。

事件を引き起こした青年の「真実」も、青年によって殺された7名と怪我を負わされた10名の方々の「犠牲」も、無かったことにするのは「目先のお金」のためってことである。

「また、やっちまった・・・よね」

その「トバッチリ」を受けたのが、新燃岳と宮崎県の方々である。
長年に亘り、現地で暮らしてきた人たちにとっては、「まさか」である。

九州・霧島連山にて活発な火山活動をおっぱじめた「新燃岳・しんもえだけ」により、
宮崎県側の山麓と市街地は、霧の如き火山灰の降灰にて「霧灰だらけ」である。

霧島連山は、私の故郷である鹿児島と隣県宮崎との県境を成している山脈であり、
「新燃岳」は山脈の中程に位置している。

この季節なれば、風の本流は北西であるため噴煙・火山灰は、自ずと宮崎県側へと流れるが、
火山活動が長期化すれば風向きも変わり、鹿児島県側とて「明日は、我が身」である。


一週間前、私は「しんもえだけ」という、ちょっと変わった山の名前を耳にしたとき、
一瞬だけ秋葉原の「萌え?」となった。
直ぐに、「燃え」という字に修正したが、「モエつながり」だけではなく、「再開つながり」も含まれていた。


霧島連山の火山灰なれば、正しく霧の如き「霧灰・きりばい」である。
雪山でも14時間もつホッカイロと云えば、「桐灰・きりばい」である。
冬場の「必需品」なれば、世に出回ると云う「シロモノ」である。

こうなると、
日本の大地からの「メッセージ」であることが明確になってくる。

出来事が起きた時期は共に「一月」、即ち「新年」であり、火山の名前は「新燃」である。
「真念を忘れた民」或いは「信念を持たなくなった民」と成り果てた現在の日本人に対する、日本の大地の想いは「思い出させ !」「モトに戻れ」である。

日本人が、心を、想いを、気を、行動を、社会全体を「荒廃」させている現状は、
火山灰の「降灰」にて事実を知らし示しているのである。

火山噴火による振動が大気に影響を及ぼす「空振・くうしん」なる専門用語を耳にしたが、
マサシク「日本人の気が振れている」事実を示している。

この新燃岳は、かつてハリウッド映画の「007シリーズ」にてロケ地に使われた所である。
「暗号解読」に適したポイントである。
暗号解読しやすいデータ(キーワード)までも、シナリオに盛り込んでいる。

これは、もう日本人にとって、笑えない時期に来ていることを示している。

日本の大地がメッセージを発するとき、最大限の効果を求め、
強い「インパクト」の表現を完璧なタイミングで実行するのである。

然るに、大地としては「それ相応の狼煙・ノロシ」とせねば意味がない。

現在の現地の方々の苦労を思えば、本当に失礼な表現ではあるが、「新燃岳」という火山の名前は、
日本の大地にとっては日本人を「叱るには、もってこい」のキーワードポイントなのである。


「叱るべきときとは、然るべき時であり、然るべきモノが、然るべき手を用いて叱るべし」

「ヤバイ言葉である」
私は今、この記述を書きながら、正直なところ言葉の恐ろしさを感じている。

日本の大地は、日本人の「失然・失念」に対し、「叱然」を用いる。

人智を超えるとは、マサシクこのこと( 叱燃 )である。
自然界のシナリオは、「必然=あたりまえ=叱然」である。

今の世の中、このような時節であるから、私のように「感じ取る者」はアチラこちらにいるはずでアル。

「永山さんよ。そんなの、解っていたよ。何、今頃云ってんだ ! 」って思った方、
その方たちには、それなりの責任を「キッチリ」執って貰わねばなるまい。

「とおの昔」っから知っていたヤツらが、いつまで経っても教えないからこうなるし、
「とおの昔」っから、感じ取っていたヤツらが、「漢字、盗って」呑気に遊んでいたから・・・・・の結果である。 

もう一度述べる、その方たちにはそれなりの責任を「キッチリ」と、執ってもらわねばなるまい。

日本は、ヤクザ・任侠の国である。責任の執り方は、「オトシマエ」である。

だからと云って、私にも責任がない訳ではない。
何故なら、私はここに至るまで「知ろう」と、してこなかったのである。
私は、その責任として「素人・シロウト」なりにでも、今、述べているのである。


疑い深い読者のために、もう少し学問的に述べることにする。

地球上の3割は陸地、7割は海(水)だと「トリアエズ」云われているがウソである。
今の私なりに表現すれば、10の陸地の上に見た目7割の海である。
( 10と7の数字は、秋葉原の被害者の数である)

人体の7割も水分(水)だと「トリアエズ」云われているが、怪しいモノである。
ここで云えることは、地球と人間は「水」によって繋がっているということである。

地球と大地と人間を繋ぐものとは、「水」だけに及ばず、「大気」だけに及ばず、
目に見えない「想い」「思考」・・・・・全てのところでも繋がっている。

私とてこの通り「想い」を語り、「意思表示」することくらいは出来る。
地球とて、「訳あって」体温調整をし続けているのである。
「想い」を言葉にして語らずとも「意図」することあれば、それ相応の「意思表示」をするってことである。

それは、地球が優れた「生命体」であるが故である。

そもそも地球にとって人間など、スケールから云えば、人間にとっての「蟻んこ」どころか、バクテリアのレベルである。

地球にとっては、バクテリアレベルの現在の我々人間如きが、常々「何を想い、何をしているのか。
どんな結果となっているのか」など、すべてお見通しの筒抜け状態なのである。
ちょっと考えれば解ることである。

ここで読者に「まさか・・・そんな、バカな」という思いが出たなら、既に毒が回りつつある状態である。
早急に解毒されることをお勧めする。

因みに、水の中にはハナっから「バクテリア」がいる。
つまり、人体の中には、ハナっから「バクテリア」がいるのである。
バクテリアは死骸となっても、水分を得れば再生し、活動を再開する。
バクテリアは、塩素でもへこたれず高熱のマグマの中でさえ生息している。

バクテリアは、溶鉱炉で溶かした「鉄」の中でも、しっかり生きている。
凄まじいスピードで「生と死、崩壊と再生」を繰り広げ、死ぬ直前に「全データ」を次のバクテリアに手渡し続ける優れものである。

だから、カタチを保てるのである。
この話、既に工学の分野でも生物学の分野でさえも、「とおの昔」から一般的常識である。

つまり、地球と人間が「バクテリアつながり」でアル以上、バクテリアは人間と地球という生命体との「連絡係」ってことである。

視点を変えれば「情報屋・運び屋・隠密・スパイ」である。
人々の「おかしな想い、おかしな気、汚れた想い、汚れた気」は、データとしてバクテリアが完璧に大地に、地球に伝えているのである。

地球という生命体が考案した「情報収集ネットワークシステム」は、完璧である。

私は、前回のブログ記事にて人々が抱いた「想い=想念」と、人々が発している「気」が大気中へと溶け込み、自然現象に影響を及ぼしている事実を述べた。

人々が発した「気」が、どれほどまでに「汚れた気」であるかを考えたとき、
その「気」は大気中にて水分を得たのち「雨」となり、再び地上に降り注ぎ大地の地中深くまで浸透する。

地球という生命体にしてみれば、日本の大地にしてみれば、
「汚れた気の水溶液・雨」が地表に降り落ちた時点で、既に何らかの「想い」を感じて居よう。
それが、体内とも云うべき地中深くまでやって来たら、「ストレス」を覚えざるを得ない。

しかも、人々が自ら作り出した「ストレス」を含んだ雨である。

「雨水を飲んだら腹を壊す」のも、道理である。
「雨に濡れれば、風邪を惹く」・・・病は「気」からである。

「天にツバを吐けば、自分に返る」と、云われてきた。
「大地にツバを吐けば、自分に返る」・・・ご自所為である。

地球にしてみれば、日本の大地にしてみれば、常に「苦汁」を飲まされ続けているってことである。
「タマッタモノ」ではないとなるのも「あたりまえ」である。

地球にしてみれば、マグマ溜まりのマグマとは、自ら溜めたモノではなく、
人々の「汚れた気」によって「溜めさせられたモノ」ってことである。

「マグマだまり」は、いうなれば「大地の堪忍袋」である。

地球が、大地が、「内面に溜め込んだエネルギー」を最も有効に使うために、
情報収集ネットワークシステムを駆使して、最も解り易い条件を備えた「ピンポイント」を探し出し、
無駄のないタイミングで解き放つのである。

その情報(地球の想い、意図、意思)は、
地上にて愚かさを改められるのに改めようとしない「汚点徒さま」に対し、
それ相応のカタチでお返ししているに過ぎないのである。

モトはと云えば、私を含む日本人が「内面に溜め込んだ想い」が原因である。

地球という生命体を、日本列島という大地を、「叱燃」の状況に追い詰め続けている「原因」とは、

私を含む日本人が抱いた「おかしな想い」、
私を含む日本人が発した「汚れた気」、
私を含む日本人が吐き出した「狂気の行動」である。

地質学者や火山の研究家たちの「能書き」では、本当の原因には辿り着けない。

「天災呼ばわりするとは、片腹痛いわ」とは、日本の大地「眠れぬ龍」の言葉である。


「想いの話」は、つづく。

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